ポジティブ心理学という学術領域をいま理解すべき理由

 今回の連載は、ポジティブ心理学(positive psychology)を取り上げる。ポジティブ心理学とは、「人の心理の病理的でネガティブな側面ではなく、幸福やケア、ウェルビーイングなどのポジティブ性に焦点を当てる学術領域」の総称だ。本連載はこれまで、経営理論を紹介してきたので、心理学の、しかも一つの学術領域全体を解説するのは異例である。

 実は世界の経営学では『アカデミー・オブ・マネジメント・ジャーナル』『ジャーナル・オブ・アプライド・サイコロジー』のようなトップ学術誌に、ポジティブ心理学を明示的に取り込んだ論文が数多く発表されるまでには至っていない。それでも筆者は、ポジティブ心理学を本連載で取り上げる価値が大いにあると考えている。理由は以下の3つだ。

 第1に、ポジティブ心理学のすべてが経営学のトップ学術誌に応用される状況にはまだないが、人のポジティブ性を前提にした理論のいくつかは、すでに経営学で提示されているからだ。代表例が、前回取り上げた「自己決定理論」(self-determination theory)と、前々回の「『ポスト・ヒーロー時代』のリーダーシップ理論」で紹介したオーセンティック・リーダーシップ(authentic leadership)である。

 自己決定理論は、人の心理のポジティブ性に注目したモチベーション理論と位置づけられる。オーセンティック・リーダーシップは、ポジティブ心理学を基盤にした初めてのリーダーシップ論である。このように経営学には、すでに人のポジティブ性を前提とした理論が浸透しつつあるのだ。

 他方、これらの理論はポジティブ心理学の一部にすぎない。筆者の認識では、ポジティブ心理学に属するさまざまな理論の全体像を体系的に整理した著作は(少なくとも日本語では)ほとんど存在していない。したがって、本稿を通じてポジティブ心理学の全体像を提示することが、読者に有用と判断した。

 第2に、世界の現実を見渡すと、ビジネス・経済において人のポジティブ性に注目する機運が明らかに高まっているからだ。金銭的な欲求の追求を前提とした、いわゆる「強欲資本主義」と呼ばれる社会は、限界を見せつつある。だからこそ日本でも「新しい資本主義」のような社会のあり方や、企業のあるべき姿が模索されている。

 そこでの重要キーワードの一つが「ウェルビーイング」(well-being)だ。これからの社会や企業が目指すべきものとして、ウェルビーイングの追求をパーパスや企業理念に採用する企業も多い。

 一般にウェルビーイングとは、人の「(1)心身の健康が保たれていること、(2)心理的な充実感があること、(3)社会的に良好な関係性を持っていること、(4)人生に意味や目的を感じていること」の総合概念と考えられている(なお学術的には、ウェルビーイングには「ヘドニック・ウェルビーイング」〈hedonic well-being〉と「ユーダイモニック・ウェルビーイング」〈eudaimonic well-being〉の2種類がある。前者は「快楽」「幸福感」「満足感」といった、「いまどれだけ幸せを感じているか、楽しいか」に重きを置く。後者は「自己成長」「目的意識」「自律性」「他者との良好な関係」など、「いかに意味のある人生を送っているか」を重視する)。

 そしてウェルビーイングは、ポジティブ心理学において核となる概念だ。人が自身の心の持ちようや他者への声かけなどをポジティブに変えることで、個人・組織のウェルビーイングが高まることが、これまで多くの研究によって示されている。