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瀬戸際のビッグ・ブルー
かつてのIBMは「自己満足」病にかかった組織だった。当時の経営陣は、職務に忠実なだけの管理者層と、取り巻きのスタッフに囲まれ、現場から乖離したところで縄張り争いに明け暮れていた。
そのような状況ゆえに、かつては難攻不落だと思われていた業界ナンバーワンの座から滑り落ちていくことに気がつかなかったのである。
1980年代半ばには、『フォーチュン』誌が選ぶ"Most Admired Corporations"(最も賞賛される企業)ランキングで4年連続トップの座に輝いたIBMは、90年代初めには緊急の救済措置を要するほどにまで凋落していた。
いつの間にか、富士通やディジタル・イクイップメント(以下DEC)、コンパックといった競合他社が台頭し、ハードウエアのマージン率は壊滅的なまでに引き下げられた。そして、顧客企業のCIO(最高IT責任者)のところには、EDSやアンダーセン・コンサルティングががっちりと食い込んでいた。
そのうえ、パソコンの利益はインテルとマイクロソフトにまんまとさらわれ、顧客はIBMの傲慢さにすっかり愛想を尽かしていた。
94年末、ルイス V. ガースナー(ルー・ガースナー)が会長兼CEO(最高経営責任者)に就任して最初の丸一年間の経営を終えるまでは、もはやただならぬ状況にあった。過去3年間の累積損失150億ドルを抱え、株式時価総額はと言えば、ピーク時の1050億ドルからわずか320億ドルにまで落ち込んだ。
このような状況を見て、知ったかぶりのコンサルタントたちの意見はほぼ一致していた──ビッグ・ブルー(IBMの愛称)は解体されて当然だ。
ガースナーは就任当初、社内の対話の促進などには手を付けず、新しいビジョンは必要ない、と発言していた。とは言え、会社は強風に翻弄される舵のない船のようなありさまだった。
その後6年間で、同社は八方ふさがりのハード・メーカーから、強力なサービス・プロバイダへと見事な変身を遂げる。かつてはお荷物だったグローバル・サービス事業部は年商300億ドル規模となり、スタッフ13万5000人以上を擁する一大ビジネスに成長した。
いま、IBMのコンサルタントたちは、インターネットを活用しようと試みる多くの企業からひっぱりだこだ。98年末までにIBMが完了したeビジネスのコンサルティング契約は、実に1万8000件に達し、売上高820億ドルの約4分の1をネット関連で稼ぐまでになっている。



