PHOTOGRAPHER MUNEMASA TAKAHASHI

 法やルールと聞くと、多くの人は管理や制限をするものと捉えがちだ。たしかに、人々が社会でともに暮らし秩序を保つためには、一定の統制や行動のコントロールが必要であり、その役割を担っているのが、まさに法やルールだ。一方で、この認識にとらわれすぎることは危うい。制約的な側面ばかりが強調されれば、社会も組織も硬直化してしまう。

 私自身は、法やルールを「道具(ツール)」だと考えている。ひとたび生み出されたあらゆる製品やサービスが時代とともに改良されていくように、法やルールもまた、人間や社会の要請に応じて更新されるべきものだ。私たちが長らく大切にしてきた「人権」という概念さえも、歴史の中で「発明」された道具だと捉えることができる[注]。人権はフランス革命やアメリカ独立宣言を背景に、西洋の民主主義国家を前提として形成された価値観なのだ。

 法やルールが道具だとすれば、それをただ「守る」という態度は、はたして適切だろうか。

法がイノベーションを加速させることも

 制約と思われがちな法やルールも、その捉え方次第で新しい挑戦を後押しする力に変わる。たとえば、1970年代、米国で大気浄化法(マスキー法)が制定され、自動車メーカーに厳しい排ガス規制が課された。当時、多くの大手メーカーはその規制対応を触媒装置の導入で切り抜けようとした。その中で本田技研工業(ホンダ)は、それがコスト増や燃費悪化につながると考え、より技術的に制御が難しい燃焼方式の改良に挑んだ。その結果として誕生したCVCCエンジンは、世界で初めて規制をクリアした技術となり、同社の競争優位を高めることにつながった。ここでは、法が先に高い基準を示し、それに追いつく形でイノベーションが生まれたのである。

 しかし、このように法が先に立つケースばかりではない。むしろ多くの場合、技術の進歩や社会の変化のほうが先に進み、法は後から追いつく。新しい技術が急速に発展する今日、現実と法との乖離はますます広がっている。そしてその乖離の中に、法律的な「グレーゾーン」が生まれる。明確に禁止されてもいなければ、明確に許されてもいない──その曖昧さをどう扱うかが問われるのだ。大きな組織では、こうした場面で「法的に実現が難しい」と判断し、挑戦の芽が摘まれてしまうことも少なくないだろう。