村上 公共の電波を用いて多くの人々に情報・番組を届けているという点で、NHKにも民放にも“放送の公共性”があり、その二元体制によって、日本では多様な情報・番組が視聴者・国民に提供されてきました。しかし、21世紀に入りインターネットやスマートフォンが普及し、視聴習慣も広告ビジネスも激変する中で、自分たちが果たすべき本当の役割とは何か、つまり、“メディアとしての公共性”というテーマに向き合わざるをえなくなりました。私が、ローカル局をはじめとする地域メディアから学びが多いと感じるのは、「自分たちにとっての公共性とは何か」を、肌感覚で捉え続けている企業が多いからです。

須賀 「公共」の定義自体が非常に難しいですね。災害時に全番組を止めて緊急編成するのはもちろん公共ですが、一方でスポーツ中継やバラエティ番組も、人々の生活を豊かにしているという点では公共の一つといえます。

 公共という概念は狭く捉えられがちですが、経済を循環させ生活を豊かにすることも含めて、公共を再定義すべき時代に来ているのかもしれません。

村上 それぞれのメディア企業が「自分たちにとっての公共性とは何か」を、熟慮のうえで明確に言語化することが求められていると思います。

地域メディアに求められる「9つの機能」

須賀 私はTVerへの出向から戻ったいまも、ローカル局の皆さんとローカル局の存在意義を議論する機会も多いのですが、村上さんがまとめられた「今日的な地域メディア機能の9分類」がわかりやすく、何度も紹介してきました。

村上 一つの会社が全部の機能を担う必要はなく、メディアごとの役割分担や重みづけがあっていいと思います。民間メディアはこれまでも、③暮らしに役立つ情報や④文化・娯楽の創造の機能を積み上げてきましたし、事業拡張という意味では、⑦地域プロモーター、⑧地域プロデューサー、⑨地域住民のサポーターの機能が、これまで以上に重要になってくると思います。

 一方、公共性の観点から言えば、①ライフライン情報提供と②地域の民主主義の基盤は欠かせません。「地域の民主主義の基盤」は、まさにジャーナリズムの役割ですが、日々のニュースが行政や警察の「発表原稿」をわかりやすく伝えるだけに留まっていませんか、という問題提起をしたいです。放送局が最も試されるのは、やはり毎日のニュースです。日々をいかに記録していくか。その結晶が地域の民主主義の基盤となります。

 たとえば、地域の行政や議会の話は、関心を持ちにくいものです。だからこそメディアには、「市民にいかに自分事化してもらえるか」という自治意識の醸成が求められます。

須賀 「自分事化してもらう」とは、情報を伝えることで人の気持ちや行動を喚起できるかということであり、これは我々広告会社が日々考えているマーケティングにも通じます。

 必要とされている情報を、必要な人に、必要なタイミングで、適切な形で届ける。単に届けるだけでなく、それによって何らかの変化を起こさなければ意味がありません。そういう観点では、地域メディアにもマーケティング的な発想が不可欠になると思います。

村上 おっしゃる通りです。夕方のニュース番組では遅いなら、インターネットで速報するのは当然です。ここ数年でローカルニュースのネット配信やアプリ展開は格段に進みましたが、メディアとしての信頼に直結する「質」の部分がどうか。そこはまだ試行錯誤の段階だと感じています。

須賀 ローカル局や地方新聞社は、一つの県全体をカバーしていることが多いですが、たとえば長野県は北信、東信、中信、南信と4地域に分けられ、それぞれ特性が異なります。ケーブルテレビやコミュニティFMなど、県域よりさらに細かいエリアのメディアと補完し合うことはできないでしょうか。

村上 すでにそうした動きもあります。たとえば、鹿児島の南日本放送や北海道放送などは、実際に他の地域メディアと連携し、自分たちだけではカバーできない情報を、放送やネットで発信しています。

 私は、ローカル局は、地域のさまざまなメディアや自治体の情報を束ねる「プラットフォーム」になることが、一つの生き残り策だと考えます。網目の細かいプラットフォームを形成することによって、人口が少なく資源の乏しい地域も取りこぼさない、そして、共通する課題を見つけて解決につなげやすくなると思うからです。