「想定外」を織り込む資産権理論

 今回は資産権理論(property rights theory:PRT)を取り上げる。PRTを端的に言えば、「想定外の事態が起きうる環境において、契約に書かれていないさまざまな活動の最終的な意思決定権(残余支配権)を誰が持つかが、その後のインセンティブとビジネスの価値創造を決める」と主張する理論で、経済学をベースにした「経済学ディシプリンの経営理論」である。本連載で経済学ディシプリンの理論を取り上げるのは、最初で最後となる。

 第1回で述べたように、この連載では、拙著『世界標準の経営理論』の執筆時にはさまざまな理由で取り上げられなかったが、いまこそ取り上げるべき理論を紹介してきた。ここまでの一連の回を第1部と位置づけるならば、今回は第1部の最終回に当たる。最後にPRTを取り上げたい理由は、以下の3つである。

 第1にPRTは、今後の経営学でさらに注目が高まることが予想されるからだ。実は、世界のトップレベルの経営学の学術誌に、PRTを応用した実証研究が多く発表されているかというと、まだ十分とはいえない。しかし今後は、PRTを基盤としたさまざまな研究が経営学から提示されるだろう。

 その理由は、これから「想定外の事態がさらに増える」時代を迎えるからだ。後で述べるように、PRTは「想定外が起きる時代」に最適な組織設計、企業の協業や取引構造の設計など、一連の価値創造の仕組みを考えるうえで大きな示唆をもたらす。

 経済学では、PRTは極めて重要な存在となっている。PRTを打ち立てたハーバード大学のオリバー・ハートとマサチューセッツ工科大学(MIT)のベングト・ホルムストロームは、2016年にノーベル経済学賞を受賞している。彼らが、ペンシルバニア大学のサンフォード・グロスマンやロンドンスクール・オブ・エコノミクスのジョン・ムーアらと1980~90年代にかけて『ジャーナル・オブ・ポリティカル・エコノミー』などに発表した一連の研究は、PRTの中核を成す論文群として知られる[注1]

 第2の理由は、PRTは、拙著の第7章で紹介し、現代経営学で応用が進む取引費用理論(TCE)と深い関連を持つからだ。PRTは、TCEと重なる前提を持ちながらも、企業の取引関係、企業間構造、組織構造などに対して、TCEと異なる帰結を提示する。この意味で、両理論は補完的な関係にあるといえる。

 現代の経営学ではTCEの応用は十分に進んでいるため、双対を成すPRTも注目を浴びることは疑いないだろう。

 第3の理由は、PRTがいわゆる「日本特有のビジネスの仕組み」(日本的経営)の今後を考えるうえで、重要な切り口となりうるからだ。現在の日本企業は、ガバナンス、組織形態、取引慣行などさまざまな側面で、改革の圧力にさらされている。一般に「日本的経営は時代遅れであり、グローバルな規範から合理性を欠く」ものとして捉えられ、批判的に取り上げられることも多い。

 PRTは、日本的経営を全肯定するわけではないが、少なくとも過去において日本的経営が、一定の合理性を持ちながら機能していたメカニズムを説明する。したがってPRTは、これから日本的経営がどのような形で改革されるべきかを考えるうえでも、重要な思考の軸となりうるのである(図表1「日本型と欧米型の企業の比較」を参照)。