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エイズ、または職場でのエイズ問題に関する論文を読んでいつも問題だと思うのは、どれもこれもあまりにも型にはまりすぎていることだ。管理職向けに普及しているアドバイスも、手軽できれいごとの選択を迫るだけに終わり、全く役に立たない。秘密を厳守すること、公平を期すこと、調停の役割を果たすこと、などが管理上の実践的処方箋として挙げられるが、これらの言葉も、現実の組織の中で現実に業務をこなす現実の社員たちがいる世界とは全くかけ離れている。
なぜ私がこんなことを言うかといえば、ここ4年足らずのあいだに、私の部下2名がエイズに感染したからである。続けざまに私は、2人の男とその部下たちがエイズという病気、およびそれに伴う避けられない結果、すなわち衰弱、病気の否定、業績の低下、そして本人たちにとっては死、生産性の低下、そして部下たちがモラールの喪失に見舞われる様をこの目でつぶさに見てきたからである。パンフレットやセミナーで学んだ知識は、どちらの試練にも役立たなかった。同じように、最初の試練も2回目の試練には役立たなかったのだ。
私個人にとって特に名誉とは言いがたい部分も含め、この論文を書こうと思い立った理由はただひとつ、次の1点を明らかにしたいためだった。すなわち、職場でエイズの問題に直面したら、けっして冗談ごとでは済まないということである。人間としての義務感と組織への責任感が真っ向から対立するような選択を迫られるということなのだ。一般に言われている見解とは異なり、どちらに転んでも、中途半端なもどかしさを感じないではいられないのである。
フランクの発病
エイズに対する適切な管理上のアプローチに関しては、コンプトローラー・オブ・カレンシー社の南西部地区人事担当の頃に初歩的教育を受けていた。私はエイズの意識向上セミナーに出席したり、自らセミナーを企画したりもし、また意識的にエイズ関連の文献には目を通していた。1980年代半ば、すでに私は職場でのエイズ問題の認識、対応にかけては全米でも1、2を争う人事部長を自負していた。
1987年初頭、私は経営管理部長としてニューヨークに転勤となり、そこで初めてこの病気に直面することとなった。
この年の春、大変有能な中間管理職のひとり、仮にフランクと呼ぶことにしよう――彼の仕事についてはあまり詳細にふれないようにしたい――が、重い病気の症状を呈し始めた。体重は減るばかりで、仕事にもミスが出始め、病気欠勤も頻繁となり、期間もだんだん長くなっていった。最初は、朝、病気欠勤するという連絡が入るか、午後になって気分が悪いから早退する、あるいは医者に診てもらうから早退するといった程度だったが、2、3週間するうちに、1回につき数日も欠勤するようになった。そればかりでなく、他の社員たちに対してもかっとなったり、私を避けるようにもなってきた。
さらに重要なのは、彼の仕事の質やタイミングが急速に低下してきたことだった。提出するよう言ってあった報告書が遅れたり、内容が不完全であることもしばしばで、どうしても出ておかなければならない会議にも出席できなかったり、準備不足だったりした。
発病前のフランクは、自分が同性愛者であることを公言してはばからなかった。自ら冗談めかして、自分はエイズ感染危険度の高いグループに入るとも言っていた。それが一転して、彼は自分の健康状態についてのガードが固くなった。発病前の彼とはほんの2、3カ月前に知り合ったばかりだったので、彼が私に打ち明けたくなかったとしても、それは理解できる。だがだれから見ても、彼が重病であることは明らかだった。
1カ月以上経ち、どこが悪いのかフランクのほうから言わせようとした結果、彼はようやく入院することになった。見舞いに行くと、自分の症状は結核の珍しいもので、治療に対する反応は良好だから、すぐに全快するとフランクは報告してくれた。
2週間後に彼は職場に戻ったが、診断に変更があって、こんどは腸内寄生虫の治療を受けているということだった。またフランクは、絶対秘密にしておいてくださいと言いおいてから、エイズ・ウイルス検査を受け、HIVが陽性だったことも教えてくれた。



