1980年代までの数十年間は、世界中の政府が、それまで民間部門が担当していた様々な役割を肩代わりすることにより、その活動の範囲と規模を拡大していった時期であった。アメリカでは、連邦政府がハイウエーやダムを建設し、研究活動を担当し、対象範囲を広げながらその規制権限を拡大するとともに、州および地方政府に対して、教育から道路建設に至る機能を支援するための資金供与を行った。西ヨーロッパとラテンアメリカにおいては、政府が、企業、ひとつの産業全体、銀行、あるいは医療制度を国有化し、東ヨーロッパでは共産主義政権が民間部門を完全に排除する方向に突き進んでいた。

 しかし1980年代に入ると、公共部門肥大の趨勢が世界各地で逆転し始めた。アメリカではレーガン政権が、「現状に固執せず、贅肉をそぎ落とせ」という新しい進軍命令を打ち出した。この"原状復帰"主義の核心となったのが政府の資産とサービスの民営化である。

 民営化の支持者によれば、公共管理から民間運営への移行は、残りの政府活動の効率と質の改善、税負担の軽減、あるいは政府の規模縮小など、一連の刮目すべき改善をもたらすだろうという。また彼らによれば、民営化された業務では、新しい民間部門の管理者の利益追求型行動によりコスト節減がもたらされ、顧客満足に一層の留意が払われることも間違いないという。

 この民営化への再認識は、1990年代にはグローバルな経済現象となるまでに広がる勢いである。世界中の政府が、電力供給から刑務所まで、あるいは鉄道から教育に至るまで、すべてを民間経営者の管理のもとに委ねる方向に転換しつつある。1980年代末までに国営企業の売却額は世界全体で総額1850億ドルに達し、しかも衰える気配は全くない。1990年だけでも世界各国政府は250億ドル相当の国家所有企業を売却しており、何を民営化の対象とするかで各大陸が競い合っているという状況だ。単独で最大規模の売却はイギリスで行われたもので、12の地域電力会社に対して投資家は100億ドル以上を支払った。ニュージーランドは、政府系電気通信会社や印刷局を含む国有企業7社を30億ドルもの価格で売却している。

 発展途上国も民営化のバスに乗り遅れておらず、これはある時は政治、経済のイデオロギーの問題が、またある時は単純に収入を得ることが動機となっている。たとえばアルゼンチンは、独占電話会社、国営航空会社、石油化学会社の売却を含む21億ドルを上回る民営化計画を打ち出している。メキシコも公共部門の規模と運営コストの縮小に積極的に取り組んでおり、これが現在進行中の24億ドルの売却として現れている。

 新たに自由化された東ヨーロッパ諸国においても、同様に民営化は今後10年間は最優先の経済目標となるだろう。チェコスロバキア、ハンガリー、およびポーランドはいずれも民営化に着手しており、現在その法的詳細の詰めの段階にある。これまでのところ変革が最も先行しているのはかつてのドイツ民主主義共和国である。信託公社(Treuhandanstalt、ドイツ政府から民営化の任務を託された公的信託機関)は1990年だけでも300社以上の企業を約13億ドルで売却する仲介を行った。同公社はそれでもまだ5000社以上のリストを持っており、これらはすべて買い手を求めているのである。

 世界中に飛び火しつつある民営化はアメリカでも例外ではなく、連邦政府から州、地方政府に至るまでその管轄範囲を変化させている。現在11以上の州が、民間所有、民間経営の犯罪者矯正施設を採用しており、その他道路の民営化を計画している州もある。地方レベルでは多くのコミュニティが、車両の運用、スポーツやレクリエーション施設の運営、輸送サービスの提供などを民間業者に委託する方向に向かっている。過去数年間ますます多くの州および地方政府が、受容できる最低限のサービスを維持しつつ予算の均衡を図る手段として民営化を採用するようになってきた。

 もちろんこの民営化の盛行に誰もが賛成しているわけではない。広範囲な民営化に対して批判的な人々は、民間所有は必ずしも効率改善と同義語ではないと反論する。彼らによれば、それ以上に問題なのは、人口のかなりの部分がその不可欠のサービスを購入する余裕がない、あるいは利用できなくなるような利益追求戦略や企業行動をとることに、民間の経営者がなんら良心の呵責を感じないことだという。例えば営利目的の経営では、貧窮者に医療を提供したり、低所得者や障害者生徒への教育の拡充が選択されることは考えにくい。この種の事業で利益を上げようとするのは、事実上は政府介入の再導入に他ならない。だとすれば単純に政府が最初からこのサービスの提供を続けている場合と比べて、それほど説得力があるとはいえない。

 民営化論争で最も重要視されてきたのは、資本主義経済下における政府の適正な役割に関する意見の対立であった。推進派は政府を、それがなければ効率的であるべき体系の足を引っ張る不必要かつ金のかかるものと見ており、一方、批判派が考える体系の中では効率は単に多数の目標のうちの1つにすぎず、この場合政府は決定的な役割を果たす重要な存在の1つと見る。

 しかし第3の見方もある。すなわち問題は単純に所有が公共か、民間かという点にあるのではないという考え方である。むしろ、どのような状況であれば経営者が公共の利益にできるだけ合致する行動をとるようになるかが問題の核心なのである。民営化論争はもう少し大きな文脈の中で考える必要があり、その場合、企業買収に関する民間部門での最近の論議の結果に照らして、問題を改めて洗い直す必要がある。企業買収問題と同様、民営化も株主(この場合は市民)から信任されたある構成の経営者が、極めて異質な構成の株主から信任された別の構成の経営者によって交替されることを意味する。