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企業に対して地球を守る姿勢の証を求める圧力が高まってきているにもかかわらず、それが自分の会社にとって何を意味するかという点で、各企業のマネジャーはいまだ共通の理解に立ってはいない。多くのマネジャーは相も変わらずに、環境保護主義を敵対的な公共の舞台を背景に厳しくなる一方の排出基準や違法行為の罰則をめぐる闘いと見ている。
だが彼らをだれが責められようか。過去1、2年間だけでも、樹木への殺虫剤散布に対する過度の恐怖から、アメリカ西部のリンゴ栽培農家がほとんど壊滅的な打撃を受けてきた一方で、エクソンは、自社タンカーのバルディーズ号による原油流出事故を引き起こしたあと、記録的な収益を報告したのである。環境面での過失は、時間の浪費、顧客からの反感、清浄化のための巨額なコスト、ボイコット、罰金を意味する場合もあるが、何ごとにもならない場合もあるのだ。
それでも企業のマネジャーたちは、一般大衆から何を期待されているかという点について新たな見識を深めてきてはいる。1985年に全米野生動物連盟の企業関連自然保護委員会が企業に対して環境賞を与えたいと提案した際、数社が名乗りをあげた。われこそは著しい環境面の成果を上げた――つまり、政府基準を遵守したと、自薦してきたのだ。だが今日、企業が「環境保護主義者」と見なされるためには、法律の基準を上回るだけでなく、業界と多くの消費者の先を行かなければならないのである。
例えば、パシフィック・ガス&エレクトリック社は、省エネ策のほうが原子力発電への投資より利益率が高いという決定を最近になって下している。またデュポンは社内の公害防止プログラムをコンサルティング業務に切り替えた。マクドナルドは、話題となったプラスチック容器から紙製容器への転換策を、より広範な、そして目に見えないゴミの減量作戦の第一歩として打ち出した。これらの企業のマネジャーは、どうやら、環境保護主義とはビジネスの機会を失わせるものではなく、ビジネスになる要素を提供するものだと思い始めたようである。
いうまでもなく、これら企業のマネジャーは、環境保護主義者とのあつれきがなければ、それほど熱心に環境問題を考えはしなかっただろう。だが、ひとたび環境問題を考えるようになってからの彼らは、かつてのように規則や罰則だけにとらわれたままではいないのだ。むしろ彼らはもっと深い取り組みの大切さを認識したのである。すなわち、持続可能な成長ということである。各業界は(その点では国家も同じだが)、現在の経済的利益のために将来のクオリティ・ライフを犠牲にしたのでは、繁栄を望めないのである。長期的に見れば、経済成長の原則と環境のクオリティ保全の原則とは相互に補強し合うものである。
たしかに、短期的にはこの両者の原則はぶつかり合う。その点がビジネスにとっての中心課題となってくる。ときにマネジャーは自分のビジネスを真っ先に守らなければならないと考える、そして環境問題は棚上げにされる。ジャンクボンド資金でマクサムに買収されたあと、パシフィック・ランバー社は債務に沈み、アメリカスギの古木の伐採率を2倍に増やした。その結果、シマフクロウの生存を脅かしただけでなく、同社がその土地を将来利用できる可能性も危うくなった。資本にもっと余裕があれば、経営陣はより健全な政策決定をとることができただろう。
しかしこの意味では、アメリカの工場周辺の環境が抱える苦悩は、社内の研究開発が抱えている問題と同じである。環境保護主義がアメリカで根づき始めたのは、ビジネスを1つの世代から次の世代へつないでいく資源、すなわち人的資源と天然資源への投資を促す企業内の他の運動と同調するものだからである。要するに環境保護主義は、企業経営の按配をはかるものなのだ。
環境保護主義が、とりわけ企業の時間的な期限を引き延ばすうえで魅力となるのなら、マネジャーは環境保護主義者が買い与えてくれる時間をどのように利用すべきだろうか。環境保護主義とは、企業にとってどのような意味を持つべきであろうか。緑を守るとはどういう意味なのか。こうした点でみんなの意見が一致するとは限らないだろうが、アメリカ国内で集めた書物や論文には、思慮深いビジネスマンも環境保護主義者もともに受け入れられる具体的かつ総合的なアプローチが反映されている。それらのアプローチから、どのような企業の環境議題にも含まれるべき3つの重要な問題点が浮かび上がってくる。
第一の、そして最も公共的な問題は、企業はどのような製品を市場に送り出すべきか、ということである。これは、製品の包装をどのようにし、またどのような原材料を含めるべきか、という点も含めてのことである。様々な面で、この点は――マスコミに関しても消費者に関しても――最も油断のならない領域である。
第二の問題は、企業の環境保護対策が民衆の受け取り方と否応なしに関係してくる限り、第一の問題と関連してくるものである。つまり、企業は公害や健康への影響に関する情報の開示をどの程度支援するべきか、ということである。ほとんどの企業は自分たちがどのような悪影響を引き起こしているか、全く知らないでいる。そうなると、情報開示の政策は政治的な領域で企業にとって利益となるだけでなく、秩序あるデータ収集を実践させることにもなる。しかもそのデータは他の問題の解決にも利用できるのである。



