ドイツ国外では、10月3日の統一の行事を、あの重厚荘厳なワグナーの特徴をまちがいなく表すものという見方が多かった。ドイツの人びとが統一祖国の再生のために歴史の水門が開かれるのを驚嘆しながら息をつめて見つめている一方で、世界の他の国々はヨーロッパの新たな経済的、政治的秩序の誕生を不安げに待っている。統一後はどんなことになるのだろうか。コストはどのくらいかかるのか。だれがそれを負担するのか。どの通貨で支払われるのか。という具合である。なにしろ不満だらけの何百万という東ドイツ人労働者が西ドイツ側の肩に不意にのしかかってきて、何十億ものドイツマルクが、よろめくような混乱した経済の中にいたずらに注ぎ込まれていく。そして景気のよい何千もの西ドイツ企業が、救いようのない前世の遺物ばかりのような国家計画と同じ土俵に押しかけているのだ。すべての出来事が悪夢であると見た者もいる。

 しかし、ドイツ国内ではもっとのんびりとしていて、それほど終末論的な見方はされていない。密かな自信と強さを秘めた彼らの見方は、成り行きを見つめる外部の者には簡単には同意できないものである。

ビールと耐久力

 フランクフルトから東へ40分ほどのところにあるミルテンベルクは、人口わずか1万の小さな町である。町の人びとは暮らし向きもよさそうで、身なりもよく、しゃれた車を乗り回している。ここはベッドタウン化した町ではない。数戸の店と工場があり、広い豊かな農地をもつ独立した小さな町である。それに、1640年代に創業され、1800年代の初めから同じ一族が経営してきた古いビール工場がある。おいしいビールをつくって、通りの先にある地元のレストランと、フランクフルトに卸しているが、そこから先の町では売っていない。

 工場のオーナーの66歳になるミハエルは善良そうな顔をした、堂々たる体軀の持ち主だ。ミルテンベルクのビジネスマンの多くがそうだが、ミハエルもかなり裕福な暮らしをしている。彼は典型的な保守派の楽観主義者だ。にじみ出る自信と静かな闘志と、歴史のことはまかせておきなさいといわんばかりの彼の態度は、ドイツ統一問題を解くカギがここにあると思わせる。

 私はミハエルに「オッシー」を雇ったことがあるかと聞いてみた。ドイツ語の「東」を表す「オスト」から、西ドイツの人たちは東ドイツの仲間をやや軽蔑をこめてそう呼ぶのだ。私の質問にミハエルは肩をすくめた。「そりゃまあね、ありますよ。何年か前にオッシーが幾人かやってきて、そのあとにも何人か来ました。1989年にハンガリー政府が国境を開放したとき、大勢ここを通っていきました。それから壁がこわされたときにもね。ミルテンベルクに仕事を探しに来たオッシーも大勢いました。どんな仕事をしたいのか、と聞いてみたんです。工場で働いて金を稼ぎたい、と言いました。それで仕事をあてがってやりました。でもみんな居つかなかったんです」

 私はその理由を尋ねた。

「仕事がきつすぎたんでしょうね。彼らは長時間エネルギーを注ぎ込むことができないんです。とにかく、仕事がきつすぎたってことです」

 彼らは仕事のやり方を理解できたのだろうかと、私は知りたくなった。ミハエルは、みんな仕事はちゃんと覚えたと言った。必要な技術をもっていたのか、と尋ねてみた。技術ももっていたという。そこで私は、ビール工場で働くことは実際にそんなに大変なことなのか、とミハエルに聞くと、翌朝いっしょに来て工場を見てほしいと言われた。工場を訪れてわかったのだが、ドイツ人はじつによく働くのである。

 ミハエルは朝6時30分に工場に来る。大半の工員(全員ではない)がまだ出勤してくる前である。しかも彼は、夕方工員たちが帰ってからもしばらく工場に残っている。朝来ると、工場の鍵を開けて、すべてが支障なく動いているかどうかを確認する。それから12時間、ときどき休みをはさみながらオフィスで仕事をする。オフィスにいないときは、工場で問題点を解決したり、アドバイスを与えたり、話をしたり、部下の働く様子を監督したりと、オーナーとしての職務を果たしている。ミハエルをはじめ、工場で働いている人たちは、自分のやっていることに全身全霊をかたむける。ドイツ人にとって、どんな仕事も肉体的なものと精神的なものの両方で成り立っているもののようだ。彼らはじつに真剣に仕事に取り組む。

 オッシーたちも熱心に仕事をするのだが、何となくうまくいかないのだ。旧東ドイツの平均的な工場労働者は、1日に4~5時間以上仕事をしたという経験がない。物不足の共産主義国家では、必要品を探しだして手に入れるために、自由時間がたっぷりないとだめなのだ。陳列棚も空っぽの店で自分たちが一生懸命働いてつくったロウソク、靴、肉などを売り出すという噂を聞いてやってきて、長い行列をつくって待つのだった。そのような生活をしていた東ドイツ人は、新たに西ドイツ経済の中に組み込まれて、仕事のペースにすっかり面食らってしまい、かつてなく体を使うことを要求されて疲れ果ててしまったのだ。