何年か前のことになるが、アメリカの友人を訪ねたとき、私はたまたま、『オズの魔法使い』という有名な子供向けの映画を観ることになった。映画は終わり近くにクライマックスを迎え、主人公のドロシーがついに全能の魔法使いの城にたどり着き、雲と雷光に包まれた恐ろしい姿の魔王に「謁見」を許される。仲間の犬トートーが、不意にカーテンを一方に力いっぱい引っ張る。すると、そこにいたのは、何でもないごく当たり前の格好の男性で、ずらりと並んだレバーやスイッチを操作して、魔法使いのおどろおどろしい姿をつくり出していた。その男性を無視するように、と雲の中で声がとどろく。しかし、ドロシーはその男性から目を離さない。たちまち彼女は魔法使いの神話を打ち砕き、その魔力のからくりをあばいてしまった。

 そこで私は不思議に思う。アメリカの企業も、日本の強大な企業体に対して、このようにすればいいのに。どうしてしないのだろうか。

 このところ、海外に出かけるときは決まって、地元の書店に入るようにしている。『通産省と日本の奇跡』とか『日本的経営への手がかり』とかいう題の本を目にすると、なかなかおもしろい気分にさせられる。こうした本は、日本のビジネス習慣がわかりにくいため行き詰まりを感じている欧米の経営者たちに、日本株式会社の神話を説き明かそうとして書かれたのだろうし、日本のビジネス形態にこれほど注目が集まっていることは、日本の経営者として喜ばしく思うべきなのだろう。とはいえ、名刺の交換の仕方から日本政府の構造に至るまで、くまなく説明している本を数冊、ペラペラめくるにつれ、こうした本が実際どれほど役に立つものか、疑わしくなってくる。だいたい、読む側の欧米の企業人たちは、これから訪れようとする日本企業について、基本的な事実すら知らないのだから。

 こう言うのも、アメリカなど諸外国の企業人と何度か話をするうち、彼らが日本の産業のことをほとんどわかっていないらしい、と必ず驚かされるからだ。世界経済の15%を日本が占め、日本の経営者は欧米の産業について研究し、知識を深めようとしているときに、欧米の経営者が日本のビジネス習慣に関して、ろくに知りもしないというのは、愚かしいだけでなくある意味で危険でもある。

 これまで40年以上にわたり、私は数十の会社をつくってきた。規模はいずれも中小だが、ビジネスの内容はエレクトロニクス関連の製造業を中心に各社様々だ。だから日本の製造業のことはよく知っている。また、それがどう動いているかについて、外国の経営者たちが考える糸口さえつかめずにいることも。

 私の工場はハイテク製品を生産し、世界中の消費者になじみの深い超有名企業に供給している。しかし、わが社の名前は全く知られていない。また、知られないほうがいいのだ。我々は大企業を支え、大企業は我々のつくる製品を宣伝し、配送する。こういった仕事は大手に任せるのがいいと、私としては満足している。我々が企画し、つくった製品を買う世界中の消費者が、その製品についているロゴマークを見て、某有名企業製品だ、すばらしい、と感心しても、私は気にかけない。これが私のビジネスの神髄である。テレビやコンピュータをだれがつくったかなど、消費者に知ってもらいたいとは思わないし、考えてほしいというつもりもない。

 しかし、欧米の生産に携わる分野のお偉方たちには、ぜひとも日本の会社の実態を知ってもらいたい。実際、これほどリビジョニストたちの論文が氾濫していながら、彼らがわが国のシステムについて、さっぱり理解していないのには、私だけでなくわが社の幹部も驚嘆する。はるか1960年代に流布していた日本株式会社の神話が、今なおまかり通っているらしい。何より目立って根強く、しかも全くばかばかしい思い違いといえば、日本の産業は全国に工場を持つ一握りの大企業によって構成され、この労働者は会社に忠誠を尽くし、見返りに定年まで会社に面倒を見てもらうようになっている……と、こんな具合だ。

 的外れもいいところだ。

秘密のベールを剥ぐ

 わが国の超大手メーカーの名は、海外でもすっかりなじみになっている。松下や東芝、NEC、日立、ソニー、富士通のような企業が強大なのは、世間の人がほしがるものをつくるからだ。また、その研究開発力、革新的製品、低コスト高品質生産は、今や伝説といえる。しかも、注目に値する新製品を開発するだけでなく、外からアイデアを借りて手を加え、細部を組み立て直して、初めに他のどこかが考えた製品コンセプトとは似ても似つかないような、完全に「新しい」製品を生み出す驚くべき力があるように思われる。新製品を縮小し、多少部品を足して、専門の分析解説者が予想した価格の半値で売り出すことも珍しくない。そして1年後には、同種の商品が市場に出回らないうちに、一層改良した新製品を、もっと安い価格で発表するのである。