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1992年が近づくにつれ、西ヨーロッパだけでなく世界中で市場開放が進んでいる。また東ヨーロッパ、アジア、北アメリカでは、何十年にもわたり立ちはだかっていた貿易上の壁が、政治不安と技術革新の前に音を立てて崩れつつある。こうした変化を見越して、「やらなければ、こちらがやられる」という雰囲気が、多くのヨーロッパ、日本、アメリカ企業を広域競争企業への変身にかりたてている。さらに、引き続き根強い勝負志向の空気の中で、積極的な企業はしばしば、海図のない領域に踏み出すべきか、どのようにそれを行うべきかといった極めて重要な決定を素早く下す必要に迫られている。
幸いなことに、価値ある地図が利用できる。過去10年以上にわたり規制緩和を経験したアメリカ企業の実例である。この経験では、人工的な束縛が急に解かれ、新規参入企業が殺到した場合に展開される競争力学のパターンが明確に示される。その結果、規則の変更により開放される市場についてだけでなく、遠距離通信、半導体や自動車市場などのように技術面やその他不連続性への対応のため世界的広がりを見せている市場についても有用な教訓を与えてくれる。
恐らく、これらの教訓の中で最も重要なものは、時間とのかかわり合いであろう。アメリカ企業の経験によれば、1992年(あるいは、どのような種類の市場開放であろうと)、その直近の年だけを見ている経営者は、取り返しのつかない間違いをしでかすことになる。企業競争の環境は、一度目は市場が開放されたとき、そして、二度目はそのおよそ5年後という2段階の変化をするから、10年間使える道路地図が不可欠のものとなる。
この道路地図により、多くの大型競争企業は、広範な活動を営む事業体としての従来の伝統的役割から、低コストの新規参入企業、焦点を絞ったセグメントでのマーケティングを行う企業、または共益事業サービスの提供者として、新しい、より利益率の高い役割を果たすように導かれる。さらに、多くの企業はこの地図により進路の大幅な変更を求められることになろう。というのは、市場開放の早い段階において生き残りのために必要な活動は、開放市場における第2段階の競争で成功をもたらす行動とは同じではないからである。
これらの教訓は、アメリカの航空、金融サービス、長距離電話事業、電話交換局用交換器、トラック輸送、そして鉄道事業における規制緩和が企業経営においてどのような意味を持つのかを長年にわたり研究した結果導き出されたものである。この研究の前半は、それぞれの産業の規制緩和から現在に至るまでの(構造的コスト、産業別費用曲線、産業別利益率、新規参入、撤退の分析を含む)動態的変化の詳細な評価に費やされた。後半で、同僚と私は高収益企業と低収益企業の経営戦略を調査し、共通パターンを抽出した(戦略上の選択として考慮に入れたものとしては、価格政策、提供している製品あるいはサービスの幅、コスト削減のための工夫、マーケティング戦略である)。
ある意味においては、ヨーロッパや他のグローバル市場の開放はアメリカの規制緩和よりさらにショッキングであるかもしれない。新規参入企業として、例えばピープル・エキスプレスのような何とか独り立ちできる程度の会社だけでなく、アメリカン航空やドイツ銀行のような、パワーあふれる組織も加わってくるであろう。地域保護主義と、国内フランチャイズを超えて事業を確立しようとする多くの強力な企業との歴史から判断すると、競争は(特に、グローバル企業間では)、規制緩和がほとんど国内的な出来事でしかなかったアメリカと比べ、はるかに苦痛を伴うものになるかもしれない。主要な日本企業が(しばしば、既存のヨーロッパ企業より低コストで)ローカル・コンテント上の要求を満たすため、巨額の投資を計画しているという事実は、こうした結論を導くものである。すでに始まっている国境を超えたM&Aの波は、経営者に長期計画を通して考慮するほどの時間的余裕を与えてくれない。実際、すでにヨーロッパ内で横断的に形成されつつある強力な提携関係は、競争状態がやがて地域での寡占と新規参入を著しく困難かつ高価なものにしたてている強大な広域競争企業によって、支配されてしまうことを示唆している。
違いがあるにもかかわらず、規制緩和についてのアメリカの経験は、かつての制限市場の開放がどのようにして新しい競争の世界をつくり出すかを教えてくれる。市場が、カナダであるとか、東ヨーロッパであるとか、アジアであるとか、ECであるとかといったことは、競争の力学以上には市場の真の開放に関係しない。さらに、競争の力学においては、区分されない市場のサイズは、思慮深い経営者が立案する戦略の選択肢ほどには重要ではない。
規制緩和の競争力学
アメリカの規制緩和は、1975年、証券取引委員会がアメリカの証券仲買人に対する固定料率を撤廃したときから始まった。やがて、他の産業も規制緩和に対応し始めた。航空産業が1978年、トラック輸送と鉄道が1980年、銀行と遠距離通信は1980年代を通して何回かに分割して行われた。どの場合でも、競争力学が同じ展開で最後まで演じられるのを見ることができる。
□新規参入企業の数は膨大であるにもかかわらず、しばらくしてそのほとんどすべてが既存の大手競合企業とともに失敗してしまう。規制緩和前の40年間、連邦航空局公認の新規参入航空会社がゼロであったのに比べ、規制緩和後の10年で215社を超える新しい航空会社が市場参入した。しかしながら、この10年間で、新規参入企業の3分の1以下、既存企業の半分以下(44%)しか独立した事業体として生き残ることができなかった。恐らく、新しい航空会社のうち2社(ミッドウェイ航空とアメリカ・ウエスト航空)のみが差別化された強力なフランチャイズを持っているといえる(ミッドウェイ航空にしても、最近、営業の中枢であるシカゴからの拡大を図った結果、財政的困難に直面している)。トラック輸送業界にしても、ストーリーはほぼ同じである。1960年代と1970年代には1万7000社という安定した業者数であったが、1987年には3万7000社を上回った。同時に、1980年と1982年の間だけで、20億ドル超、すなわち、産業全体の総所得の16%超を占めていた72を超える業者が閉鎖した。
□新規参入企業が少なくとも5年で、すべての競合先の価格設定をめちゃくちゃに壊してしまうため、当該産業の利益率は急速に悪化する。驚くべきは、新規参入企業の著しい低コストではない(新規参入企業のコストは競争相手より平均して40%から50%も低い。これは主に、新規参入企業は既存企業に比べ、先任権協定、旧態依然とした工場、高くつく配送システムなどの余分な重荷を背負わなくてすむからである)。驚くべきは、新規参入企業が10%~15%のマーケットシェアしかない場合でも、万人に対し発揮される市場価格破壊能力である。証券業を例にとれば、ディスカウント・ブローカーは顧客数では20%以下しか押さえていなかったが、市場価格を30%引き下げさせた。電話局用交換器及びPBX交換器市場における価格は40%~50%下落したが、低コスト新規参入企業は25%以下の市場を獲得したにすぎない。



