グローバルな競争を制覇する最強の方法は、多くの企業にとっていまだ判然としない。1980年代を通じてトップ幹部は、企業のリストラクチャリング、事業の整理・統合、組織階層の簡素化の能力によって評価されてきた。1990年代には彼らは、成長の基盤となるコア競争力(core competence)の特定、培養及び開発の能力に基づいて評価されることになり、事実上、彼らは企業そのものの概念について再考を迫られることになろう。

 過去10年間のGTEと日本電気を考えてみよう。1980年代初めにGTEは、成長しつつある情報産業で最有力企業となりうる絶好の位置にいた。同社は電気通信会社として活発に活動していた。またその事業は、電話機、交換・伝送システム、デジタルPABX、半導体、パケット交換、人工衛星、防衛システム、照明製品など多岐にわたっていた。さらにシルバニア・カラーテレビをつくっていたGTE娯楽製品グループは、ディスプレー技術でも一定の地位を占めていた。1980年当時GTEの売上高は99億8000万ドル、純キャッシュフローは17億3000万ドルに達していた。これに対して日本電気の売上高は38億ドルとはるかに小さかった。同社も類似した技術基盤とコンピュータ事業を持っていたが、電気通信会社としての経験はなかった。

 ところが1988年現在のGTEと日本電気の状況を見よ。GTEの1988年の売上高164億6000万ドルに対して、日本電気は218億9000万ドルと相当の隔たりが生じている。GTEは防衛と照明製品で、ある程度の地位は保っているものの、事実上は一介の電話会社となっている。GTEの他の事業は世界的基準からすれば小規模である。GTEはシルバニアテレビとテレネット事業を売却し、交換、伝送、及びデジタルPABXは合弁事業に移し、半導体事業は閉鎖した。その結果GTEの国際的地位は低下してしまった。全収入に占めるアメリカ以外の収入の比率は、1980年から1988年の間に20%から15%に低下しているのである。

 一方、日本電気は半導体で世界的リーダーに浮上するとともに、電気通信製品とコンピュータでも第一線企業となっている。同社はメインフレーム・コンピュータでの地位を固めた。また公共交換・伝送機器から、さらには移動電話、ファクシミリ、ラップトップ・コンピュータなど、電気通信とオフィス・オートメーションの間隙を埋める生活密着型製品にまで手を広げている。日本電気は、電気通信、半導体、及びメインフレームのいずれの収入においても世界のトップ5に入る唯一の企業である。類似した事業構成を持つ両社の業容に、これほどの格差が生じたのはなぜか。要するに日本電気は自社を"コア競争力"の観点から認識し、GTEはそうしなかったということである。

企業を再考する

 従来は多角化企業はそのビジネス・ユニットに対して、単純に特定の最終製品市場を指定し、世界のリーダーたるべしと指示することができた。しかし、市場の境界がかつてないほど急速に変化するに至って、目標は捕捉しにくくなり、たとえとらえても一時的にしかすぎない。新市場を創出し、揺籃期の市場に迅速に参入し、あるいは確立した市場での顧客の選択パターンを根本的に変貌させる力量を自ら立証して見せた企業は数少ない。これらはいずれも勝ち取っていく類のものである。経営者の最大の務めは、製品に他社が抵抗しがたい機能性を満たすことの可能な組織、さらに望ましいのは、顧客が必要としながら、想像もしていない製品を創造することが可能な組織をつくり上げることにある。

 これは至難の技である。究極的には、これは大企業の経営を180度転換させることを必要とする。何よりもまず、西側企業のトップ・マネジメントが競争力低下に対する責任を認めることが前提となる。高金利、日本の保護主義、時代遅れの反トラスト法、手に負えない労働組合、あるいは忍耐心のない投資家などは周知の事実である。知られていないのは、というより認めがたいのは、政治的ないしマクロ経済的"救済"が現実に企業にもたらした活力が、いかに少なかったかということである。西側のマネジメントの理論と実践は、いずれも前進のための牽引力を生み出してきた。改革に向けて必要とされているのもマネジメントの原理である。

 ここでも日本電気とGTEの対比は示唆的であるが、これは筆者たちがグローバルなリーダーシップのための基盤の変化を理解するために分析した多数の類似した比較ケースの一例にすぎない。1970年代初めに日本電気は、コンピュータと通信の収斂を実現するための"C & C"と称する戦略的意図(strategic intent)を明確に打ち出した(1)。トップ・マネジメントは、成功には競争力、とりわけ半導体における競争力の確保が要になると判断した。経営陣はC & Cに集約される適切な"戦略的組織概念"(strategic architecture)を採用するとともに、1970年代半ばを通じて、その意図を全組織及び外部世界に対して積極的に表明していった。

 日本電気はコア製品及びコア競争力の開発全体を統轄するために、トップ管理職からなる"C & C委員会"を発足させた。また個々の事業の利害を横断した調整グループや委員会を設置した。日本電気はその戦略的組織概念に基づいて、コンポーネントと中央処理装置での地位強化のために膨大な資源の移動を進めた。内部資源を増殖させる方向での合弁型提携を行うことにより、日本電気は広範なコア競争力の蓄積が可能となった。

 日本電気は、技術と市場の発展について相互に関連した3つの趨勢を注意深く選び出した。トップ・マネジメントは、コンピュータ世界は大型メインフレームから分散処理へ、コンポーネントは単純なICからVLSIに、そして通信は機械式のクロスバー交換機から現在ISDNと呼ばれている複雑なデジタル・システムへ発展していくとの結論に達した。事態の進展に伴い、日本電気は、コンピュータ、通信、及びコンポーネント事業はその区別が極めて困難なほど重複し、そしてこの3つの市場全部に参入するに必要な競争力を構築できる企業には膨大な機会が開かれると考えた。

 日本電気のトップ・マネジメントは、半導体が同社の最も重要な"コア製品"になると判断した。同社は競争力を速やかに、それも低コストで構築することを目的に、多数(1987年現在で100以上)の戦略的連合を組んだ。メインフレーム・コンピュータで最も注目すべきはハネウエルとブル社との関係であった。半導体コンポーネント分野での合弁型提携は、ほとんどが技術の入手を主眼としていた。こうした合弁型提携を行うに当たって、日本電気の実務管理者はこうした連携の動機と、パートナーの技能を自社に取り込むという目標を理解していた。日本電気の研究責任者は、1979年及び1980年代における競争力の取得活動を次のように要約している。"投資の観点からすれば、外国技術を使うほうがはるかに迅速かつ安価であった。我々にとっては、新しいアイデアを開発する必要は1つもなかった"。