1979年3月28日の朝、スリーマイルアイランドの原子力発電所の2基の炉のうち1基が、装置の不調と人間の操作ミスの奇妙な連続によって、放射性の蒸気の漏れを生じた。その瞬間は、やがて知ることとなったように、潜在的な危険性をはらんだものであった。また不安をもはらんだ瞬間であった。

 不安が高まる中で、ペンシルバニア州知事リチャード・ソーンバーグは、発電所から5マイル以内の妊娠中の女性と就学前の乳幼児は避難し、その他の人でも10マイル以内の場合は家に退避したほうがよいと平静で慎重な発表を行った。要するに炉の影響を受ける範囲に住んでいる3500人について、当分の間移転するように、その他の人たちには外出を控えるように勧告した。

 しかし実際には、警戒した20万人ほどの住民が、高速道路を使って、驚くべきことに平均して100マイル逃げたのである。それに対して家から避難するよう勧告された人の避難距離は、60マイルだった。こうした避難自体は人間の歴史上それほど大規模なものではないが、勧告の範囲と、実際の避難行動との格差は史上最大のものではないだろうか。

 ミシガン州立大学の若手の地理学者3人は、これを「おびえによる避難の現象」(evacuation shadow phenomenon)と名づけ、その言葉は公式見解によって要請されたものと、自分の知恵で動いた危険に直面した人々の行動のギャップを示している。専門家も素人もこうしたギャップについては一連の決まり文句で説明しようとした。「過剰反応」は現在でもしばしば起こっているし、「不合理的行動」も同様である。しかし現実に起きたことに対して、こう名づけるだけでは、何も説明していないに等しい。我々は「そうしたおびえはどんなことから生まれたのか」、「避難した人が考えたことは何か」ということを考えなくてはならない。そしてそれに対しては確信を持って、心の奥底からの恐怖と答えることができるだろう。

 スリーマイルアイランドの事故は、特に教訓的であった。一般の人はどれくらい放射能が漏れ、それが有毒であるとしても、どの程度であるかということは、漠然としかわからない。その点で、ある意味ではそこから生まれた感情というのは、純粋で完璧な恐怖、恐怖のエッセンスである。こういった感情は、五官で感じることができるもの――人間が落下していく眺め、梁の砕ける音、煙のにおい、目が焼かれるような感覚といったもの、つまり危険に遭遇した人たちの間にパニックを生むような伝わりやすい警報――に対する反応とは違うものである。スリーマイルアイランドのときにはパニックはなく、数時間にわたった静かな避難が生まれた。その20万人(全部とはいわないまでも少なくとも家族のために避難しようと決めた人)の1人1人が、ものいわぬ風景から何らかの兆しを読み取っていたのである。

 避難した人が、この瞬間に恐れていたのは放射能であったが、そのほかの有害な物質でもありうるかもしれない。放射能はここ数年の間に、我々がますます経験するであろう全く新しい種類のトラブルのもたらす緊張の1つにすぎない。スリーマイルアイランドやチェルノブイリの事故は、両方とも放射能の関係であるが、ラブ運河やボパールのような最近起こったその他の有害物質による事故と同じ性質を持つものである。

天災と技術災害の違い

 こうした新しいトラブルについてまず言わなければならないことは、人間の手によって生み出されたものであるということである。昔の人は黙示録の内容を暗いものにしている疫病とか、干ばつ、洪水、害虫などの異常発生といった天災を恐れていた。こうした天災はもちろん今日でも問題であるが、最もひどい被害を免れることを学んだ、ということは確かである。いくつかのもの(例えば、ある種の伝染病など)については食い止めたり、発生を全く抑えることが可能になった。そのほかについても(最近ではハリケーン「ヒューゴ」のようなもの)でも、人々を避難させるための予測ができるようになり、致命的な被害が避けられる。

 しかし、皮肉にも自然災害からの防護を可能にした、こうした技術的な進歩が、全く新しい種類の災害を生み出している。専門家はそうした災害を技術災害と呼び、技術災害はシステムの誤作動、人間のミス、設計の失敗、エンジンのミスファイアなどによって発生する。地震や竜巻、洪水、ハリケーン、火山活動、津波などが自然災害のカテゴリーに入る。衝突、爆発、故障、倒壊、そしてチェルノブイリやボパールのような事故は技術災害の分類に入る。

 技術災害は、人間が自らの能力の限界を広げていくにつれて、明らかに数が増えているが、規模の面でも拡大している。チェルノブイリの例のように、地域的な事故が非常に離れたところに影響を与える可能性がある。そしてある事件のニュースが大変早く広範囲に伝わり、個人の人生の重大な瞬間となり、スリーマイルアイランドの場合のように、集団的意識となる。

 自然災害と技術災害の違いを正確に線引きすることは難しい場合がある。アパラチアの炭坑の落盤のように、活動の続く山と人間の不注意が重なって発生する場合があるし、中央アフリカの伝染病のように、強い新種の細菌と人間が昔から頑固に守っている風習の相乗作用による危険性もあるだろう。