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5年前、ヒューレットパッカード(以下HP)のローズビル・ネットワーク事業部(以下RND)に勤める者は、自らの原価計算制度からはじき出される数字を信じていなかった。だが今は違う。かつて、マーケティング、製造、製品設計、そして経理に携わる人々が腰を据えてある製品についてディスカッションをしたときは、我々はいつも、いかにしてその製品の"真のコスト"を見つけるかについて議論したものだ。とりわけ、製造担当の者は、原価計算を"意思決定の協力者"としてではなく、番犬のように見ていた。だが、もはやそのような議論をすることはなくなった。今日では、製造に携わる者と原価計算に携わる者が相協力して、あらゆる者のニーズに合致する意思決定を行っている。
変わったのは原価計算のシステムである。製造部門の抜本的変化に幅広く対応して、RNDではこの5年間を費やして、本当の意味でコストを動かしているもろもろのファクターを測定する新原価計算制度を開発した。コストを動かしているものは(以下コストドライバー)、すなわち活動に基盤を置いたシステムのほうが、その利用者――製造、R&D、マーケティングといった、そこから出される数値を頼りにしている人々――にとっては、より正確で、タイムリーで、しかも最終的には役に立つのである。
我々は、現在でも原価計算制度の改善を行っているが、これまでのところ、結果は非常によいものが出ている。実際、RNDは、他のHPの組織への模範とされており、組織上は我々の上にあるコンピュータ製造事業本部などは、すべての製造組織が我々のものに基礎を置いたコストドライバー原価計算制度を使用するよう求めている。非常に競争の激しいコンピュータ市場においては、正確でタイムリーな原価情報こそが肝要であるが、今では我々もそれを提供できている。
原価計算の異端児たち
RNDは多品種混流・少量生産の工場で、約250種の製品(ほとんどがプリント回路とコンピュータ本体に使われる機器)を製造しているが、そのおのおのに様々な仕様があり、トータルすれば約1100種のアイテムとなる。1980年代初頭、RNDの製造マネジャーは日本への工場視察に出かけたことがある。そして彼はある1つの考えを持って帰国した。日本の製造技術を見て、彼はRNDの製造のやり方を、工程に重きを置いた環境へと変化させるべく、自らを駆り立てた。つまり、彼は工場の力点を個々の製品から工程を作り込むことへと変えたかったのである。彼は1100種のアイテムのどれもが、機械の据え付けや配置替えにより中断されることなく、絶えることなく、1つずつラインを流れることができることを望んだのである。
その製造マネジャーは、自らのビジョンを実行に移すべく、製造、財務、情報システムの各部門から6人の助っ人をリストアップした。彼は、彼らの使命が工程を理解し、それを文書で実証し、簡素化し、そして必要ならば自動化することにあると説明した。彼はこのシンプル・シックス(Simple Six)と名づけられたタスクフォースをあらゆる問題に応えられるべく叱咤激励し、彼らはついにやり遂げたのである。
このチームは、既存のあらゆる手続き(製造部門が行っていた測定までも)を綿密に調べた。例えば、ラインの作業者が回路基盤に部品を手で差し込むとき、その作業にどれだけ時間がかかるかを記録した。技術者が検査を行うときは、その時間を計り、その時間をある特定の作業指図書に記した。製造部門は、自らが使用する目的で、コストを追跡するために測定結果のいくつかを利用していたが、原価計算制度が必要としているというだけで、他のデータも調べていた。設計部門でも原価計算部門を満足させるだけのために、なにがしかのデータ収集を行っていたが、他の情報は自らが製品のコストを見積もるのに使用していた。
これらバラバラの原価計算制度は、原価計算制度が利用者が信用できる情報を与えていなかったということを非常によく表している。かつては、様々な部門の人を巻き込んだ会議の場では、原価計算制度についての苦情をよく聞いたものである。
例えば、新製品の原価を見積もるようなときなどは、製造、製品設計、そして原価計算部門は、それぞれ別々の数字をはじき出していた。そして、議論は決まって、どの数字が正しくて、またそこに到達するのにどんな手法を使ったのかというほうに流れていった。多くの人々にとって問題であったのは、自分の部署でどんなふうにして原価を計算したかということなどとは関係なく、公式の原価計算制度から出された数字こそがこだわるべき数字であるということであった。
我々原価計算部門では、他部門の不平には気づいていたが、シンプル・シックスの不必要な測定値を除去しようという取り組みこそが、我々の内部の原価計算制度を再考しようとする上での本当の起爆剤となったのである。そして我々もともかく、製造の変化に順応しなければならなくなったのである。
原価計算を行う者はかなり保守的で、会社を偏狭な目で見がちである。が、幸いなことに、わが社の原価計算マネジャーは、その点、異端児ともいうべき人であった。彼は、進んで原価計算制度を再設計し、製造部門に対し彼らが必要とする情報を提供し、さらには原価計算のニーズに合致する限りにおいては、厄介と思われてきたような記録は排除することに努めた。



