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ビジネスは、ときどき悪名を被ることがあるが、その際、特にマーケティング、中でも広告がひときわ悪者扱いされるものである。ビジネスマン自身でも、内心マーケティングに疑問を感じることが多い。一般に、マーケティングは、あらゆる知能と技術と器用さをもって、人々が必要としないものを欲しがらせているのではないか、与えられないとわかっていながら過大に約束し、誇張しているのではないか、また最悪の場合は、人々の弱い心につけこんで、手に入らず、望ましくないものを値踏みさせ、求めさせ、期待させているのではないかという点で疑問が持たれているのである。こういう批判は、結局のところ、マーケティングの倫理性、ひいてはビジネス自体の倫理性に攻撃を加えることに等しい。
こういう状況をさらに著しくしているのは、30年間にわたり、現代マーケティング実践の場における動機づけのテーマがマーケティング概念となってきた事実である。顧客が真に求めているものを与えることによって顧客の役に立とうとするとき、ビジネスは本当の成功を収めることができる、というのがこのマーケティング概念の主な原理である。どこか正しくないところがあるのならば、どこがうまくいっていてどこが間違っているのかを知ろうとするのが実際的だ。
実際、マーケティングとその実践、特に広告と販売は常に批判の対象とされてきた。この種の苦情のあるものは、聖書や孔子、ギリシャの古典にまでさかのぼることができる。もっと最近では、1960年代における"個人用脱臭剤"の登場が、激しい論争を呼んだ。製品のアイデア自体もさることながら、その広告の打ち方も問題になったのだ。10年前には、子供向け"戦争用玩具"の広告やアフリカにおける乳幼児用調合乳の販促について厳しい批判が行われた。今日問題になっているのは、ごみ同然のダイレクトメール、享楽的なライフスタイルの若者に対する賛美、商業コミュニケーションの莫大な分量とその厚かましさといったものである。
マーケティングに対する批判のほこ先は、主に"過剰性"と"巧妙さ"の2つの分野に向けられている。"過剰性"とは、一見もっともらしいが、見かけ倒しの不愉快な商品、不十分な保証、偽りであったり不快であったりする広告、人目をごまかすパッケージング、疑問だらけの販売行為、安っぽい価値に対する強調などのことだ。これは、一般に"消費者保護運動"といわれるものの基礎になっている。
"巧妙さ"とは、マーケティングが顧客のことを考え、顧客に対応する際に用いる独特の手法のことを言う。たいていの人は、消費者のニーズやウォンツを製品とその機能の特性――ある製品が何の役に立つか、どんな性能を持っているか、味はどうか、見かけはどうかといったこと――によって規定している。マーケターもやることは同じだが、これくらいではすまない。マーケターは製品の性能について考えるとき、それを消費者の心理的並びに心理社会的なニーズと希望の面から考える。こうしたものは、とかく複雑かつ微妙で、取り扱いに細心の注意を要する。人は多くの場合、特定の製品を持つことのできる可能性を説得によって示されない限り、それに対するニーズに気づかないものである。この説得という仕事を専門的に行っているのが、マーケティング専門家なのだ。専門家が素人の相手をするとき、特にそこに金銭がからんでいるときには、一般に何か不公正なものが感じられる。
注目すべきなのは、これまでのマーケティングについての議論においては、その生みの親ともいえる現代的生活の仕組み、とりわけ現代のメディアと訴求対象の構造について何もいっていないことだ。だが実のところ、倫理的な問題までも含めて、マーケティングに伴う社会的不満の多くは、"過剰性"や消費者のウォンツやニーズの"不当な"定義づけから生じるものでもなく、貪欲さやずるさから生じるものでもない。むしろ、マーケティング概念の実践に当たって機能的な制約があることから生じているといってもよいであろう。
市場機会とターゲットの明確化
真のマーケティング概念の実践者ならば、経済的・戦略的に意味のある限りは、消費者が求めほしがっているのは何であるかを探し出し、そのニーズを満たそうと努力するはずだ。そこで差し当たり、だれかが慎重に消費者のウォンツとニーズを満足させようとしているという前提に立って(といっても、これは常に正しい前提であるとは限らない――いかなる職業にも、やま師と一発屋はうようよといる)マーケティング概念を慎重に実践に移すためのプロセスのことを少しでも考えてみたら、どうしても物事がつまづいてしまうことが、即座にわかるだろう。
まず第1に、マーケターは市場機会を明確にしなければならない。つまり、調査や勘や技術革新やら、それの組み合わせによって発見された明白な消費者ニーズが必要だ。次いで、その規模や強さ(ニーズを持っている人々が、それを満たすためにいくらくらい金を支払う気があるか)、また採算に合う価格でそのニーズを満足させられるかどうかを決定しなければならない。言い換えれば、このマーケターの会社にとって、特定の消費者ニーズを満たすことが可能か、かつ利益が上げられるかどうかということだ。
次に、ターゲットの明確化である。これは、マーケティング活動〔普通"計画(プログラム)"と呼ばれる〕でとらえようとする人口の中の特定グループのことであるが、それは単に示されたニーズを持っているというだけではなく、希望や意思、さらにそれを満たすための資金を持っている人々でなければならない。マーケターは、潜在的な消費者をデモグラフィック(人口学的)な用語で、そして特に消費者用品の場合には、心理社会的な用語で規定する。例えばある製品の潜在的消費者が50万人いるとしたら、それはどんな人たちなのか――若いか年寄りか、男か女か、金持ちか貧乏か、都市か郡部か、"ナウい"か"ダサい"か、積極的か消極的か、自信ありげか頼りなげか――を特に知ろうとするのだ。
マーケティングの行動科学的研究の基本的進展の1つは、市場セグメントの定義づけにおいて心理社会的要因が、デモグラフィックな要因と同じくらい重要だという仮定に立っていることである。換言すれば、個人的な意見、認知、社会学的特性の面で共通している消費者は、同年齢あるいは同じ所得階層の消費者とは多少異なった、特別のニーズを持っていることが多いのだ。



