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今日では、市場のグローバル化に熱を上げ、世界共通のマーケティング・プログラムを導入して、各地で成功しているケースを引用する風潮が高まっている。確かに、一部の市場ではグローバル化が進展し、その波に乗って見事な成果を上げている企業も増えている。しかし、これらの成功例をリポートする場合には、それに伴う複雑な問題やリスクには、言及しないのが常である。実際には、グローバリゼーションの成功例1件について、失敗例は恐らく数件に上るものと見られるが、敗戦を語るのははやらないのだ。
そこでまず、グローバル・マーケティングの複雑性とリスクがどのようなものかを知るために、西ドイツのヘンケル(Henkel、産業・民生用接着剤の大手メーカー)のケースを分析してみたい。1982年にヘンケルは、国際的に知れわたっているが、伸び悩んでいる民生用接着剤パテックス(Pattex)の活性化に着手した。その戦略は、パテックス・ブランドのラインを拡張して、その中に新製品を含めて、成長性の高い市場分野に、それを導入するという方法だった。だがこの発想について、ヘンケルの世界各国の子会社は強く反対した。"とんでもない、そんなことはできないし、やるべきではないとみんな首を振るばかりでしたよ"と、この決定を下した製品マネジャーは、当時を語った。
このように、パテックス・ブランドの拡張戦略について、子会社が一斉に反対したために、ヘンケルは、西ドイツ、オーストリア、ベネルックス各国で、この"アンブレラ・コンセプト"の消費者テストを行った。それによると、パテックスの売上高を減らさずに、パテックス・ブランドを使って製品ラインを拡張できる、という明るい結果が出た。この調査結果を見て、これまで反対していた現地子会社の経営陣は、態度を和らげた。その後まもなくヘンケルは、"強力万能接着剤"としてパテックスのグローバル・ブランド戦略を展開した。
こうして再出発したパテックスは、発足後、日を経るまもなく好業績を上げ、今日ではパテックスは、ヨーロッパほか世界20カ国の消費者市場で、同社のトップブランドとなった。全経営陣の予想を上回って、パテックス・ブランド傘下の新製品は、パテックス・ブランド全体の売上高約1億ドイツマルクの半分近くのシェアを占めるに至った。
この成功に勢いづいた経営陣は、パテックスの再出発後数カ月を経て、第2のアンブレラ戦略に着手した。今回は、ヘンケルの"スティックのり"市場でトップに立つブランド商品プリットだった。同社は以前にこのブランドを"スティックのり"から"手軽な万能のり"に展開する戦略を打ち出したが、うまくいかなかった。それでもパテックスの成功で自信を得た経営首脳部は、整合性のある基準的パッケージデザインとコミュニケーション戦略を展開すれば、今回こそは成功するにちがいないと考えた。
加えて、同社の大手子会社群は従来の態度を変えて、国際的に調和のとれたプリット・ライン戦略を支持した。実をいうとこのコンセプトの旗手は、ヘンケルの大手子会社の1つであるベネルックスの子会社であった。西ドイツのデュッセルドルフ本社の経営陣の多くも、パテックスに続く戦略としてプリットを選んだのは、理にかなっているという意見を述べた。そこで、中央の製品マネジャーにとって、プリットの打ち上げについて解明すべき問題は、すべてクリアされたものと見られていた。
ところがプリット計画について、1つ不透明な問題点が残されていた。西ドイツとベネルックスで早急に行った消費者調査によると、調和のとれた製品ラインは、プリット・アンブレラの新たな展開には、まだ不十分な点があるということがわかった。例えば、パッケージデザインについては、現在の製品と比べてかなり改善されているが、多くの点について、プリットの世界的な強敵UHUのほうが優れている、ということだった。しかし、本社の首脳陣は、パテックスの好業績と主要子会社の常になく熱心な支持に押されて、この計画を推進した。
その後の経過を見ると、アンブレラ戦略でパテックスの売上高は上向いているのと対照的に、プリットについては、全社の予想に反して、業績不振を立て直すまでには至らなかった。要するに、プリット・ブランドは傘下の製品ラインを支えるだけの力がなく、足踏み状態が続いた。今日では、プリット製品ラインの世界市場売上高は、依然として予想をはるかに下回っている。そしてプリットは、"スティックのり"一品種だけのブランドとほぼ同然となってしまった。
ところで、一方のプログラム(パテックス)は、子会社の反対をよそに成功し、他方のプログラム(プリット)は、子会社の熱心な支持に反して失敗したのはなぜか。ヘンケルの経営陣によると、それには2つの原因があるという。プリットについては、調査に基づいて早期に警戒信号が出ていたのに、本社は有力な子会社の役員がそれを解除したのを受けて、決定を急いだ。厳しいデータの代わりに、経営陣の熱意を優先してしまったのだ。第2は、発足後まもなく予想に反する結果が出た際に、子会社はプリットの販売促進資金を他の製品に転用して、早急に全体の収益を上げようと図った。この問題について本社からは何らの追跡調査がないままに、子会社はプリットの販売促進資金の穴埋めをしなかった。
このように、プリット計画は、パテックスのような発足当初の厳密な調査も、その後の子会社の支援も得られなかった。この2つの悪条件が重なった結果、プリットのグローバル・ブランドの展開は失敗に終わったのである。



