社内で深刻な問題が噴き出す前に事態を収拾できるマネジャーは、ビジネス社会において常に2~3歩先を行く人物である。会社は不必要な出費や途方もない災難を逃れるとともに、マネジャー自身も自部門を適切に運営し、問題をつぼみのうちにきれいに処理したことに対して相応の昇進が与えられるのである。

 もちろん、実際にはそれほど簡単にことは進まない。問題を適切に処理する秘訣は、その問題の早期発見にあるということはだれでもよくわかっていることである。しかし、早期発見の秘訣は何であろうか。有能なマネジャーは問題が起こりつつあるのをどのようにして発見するのであろうか。彼らの警告システムはどのようなものなのであろうか。

 優れたマネジャーならだれでも独自のプライベートな情報網を持っており、また、問題の初期兆候に対するある種の第六感が発達している者も多い。しかし、はるかに簡単で、かつ、最も一般的な問題発見方法は、ほかの人間から、通常は部下から教えてもらうことである。

 ものごとが順調に進んでいるときは、情報を得ることはたやすい。だれでも、上司にはよいニュースを報告したいものである。しかし、部下たちは上司に向かって、最近はじめた計画がうまく進行していないなどと言いたがらないし、問題点を指摘することによってその責任をとることになるのを避けようとする。また、スパイのように見えたり、あら探しをしているかのように思われるのは好まない。部下たちが問題に対して率直になりたがらないのは、彼ら自身のリスクとも関係している。購入したばかりの機械の調子がよくないことを上司に報告するのは、かなりたやすいことではあるが、その機械不良の責任が自分にあると認めるのは非常に嫌なものである。まして、その件について上司の責任を問うことは嫌どころか、恐らく危険な行為となろう。とはいうものの、部下たちに、不愉快なことを報告させるようにするのはまことに重要である。問題の明確化、診断、及び状況の是正が早ければ早いほど、会社にとって有利に働くからである。

 真にオープンで率直な従業員がいれば、どんな組織でももっと効率よく機能するであろうが、完全な率直さはとうてい望みようもない(また、恐らく我慢できないであろう)。率直さは信頼に依存するものであり、階層組織にあっては、信頼というものにも厳然たる限界が、おのずと存在するからである。

信頼と率直さの限界

 階級社会においては、力の弱い人々が自分たちの弱さや、失敗や、欠点をさらけ出すことに対して極度に慎重になることは当然のことである。特に権力を持つ側が、評価したり、罰したりする立場にも就いている場合はなおさらである。信頼は権力を忘れさせてくれるし、とりわけ、評価されているという意識を忘れさせてくれる。マネジャーは部下を評価する立場に必然的に就くものであるが、優れたマネジャーであれば、部下の評価は公式な場に限り、それ以外の場では評価者的な態度を見せないようにできるかもしれない。さらに、批判をするときでも、肯定的かつ建設的な形で伝えることができるかもしれない。それでも部下たちが上司を自分たちの評価者と考えがちになることは、どうしても避けようがない。

 つまり、率直さの限界の1つは、自己防衛にある。例えば人々はしばしば、自分の課の失敗を隠し、自分たちだけで事態を正そうとする。典型的な例を挙げてみよう。特殊なソフトウエア開発の一部を担当していたグループが、開発予定よりも大幅に遅れていたにもかかわらず、納期に納めるのが不可能になるまでだれ1人としてマネジャーに伝える者がいなかった。引き渡しは3カ月も遅れ、会社は損害賠償を支払わざるをえない結果となった。

 率直さに欠けたことは、もちろん、長期的な観点から見て自己防衛にはならなかった。なぜなら、最終的には、その開発グループに遅滞の責任が発生したからである。しかし、人間というものは、しばしば近視眼的になりがちである。これまでを振り返っても、たいていの人なら、今日現在の直接的な不便さよりも、不確かな将来の災難を選んだことが何度となくあったはずである。

 このテーマと関連して、部下が自分自身をかばうために、さらに自分の部下をかばう場合がある。以下に例を示そう。

□私はある大手メーカーの財務担当副社長で、27人の部下を統括していました。1人の新入女子社員が、ある重要な任務で失敗をしたことがあります。彼女の上司は、彼女を採用した人物ですが、この失敗を、甚大な影響なしには修正できなくなる時点まで、私に隠していたのです。その理由は、もし報告をすれば、私が彼にその問題の担当を命じ、後始末をさせるであろうし、また、それが彼にとって大変な重荷になることがよくわかっていたからでした。