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この記事は、一国の最高指導者として世界的に知られる人々とのHBRインタビューシリーズの第5回目である。これらのインタビューを通じて、各指導者の思考力、責任感、行政スタイルなどの一端をうかがうことができる。指導者としての特性は、1つは在任期間という時間的要因、もう1つは国家という最大かつ最も複雑な組織を、どのような価値観とアプローチに基づいて、管理するのかによって、違ってくるものと思われる。
中曽根前首相は、1947年に衆議院議員に初当選して政界に入って以来、国務大臣・科学技術庁長官、運輸相、国務大臣・防衛庁長官、通産相、国務大臣・行政管理庁長官などを歴任し、1982年には総理の座に上った。その間、幹事長、総裁など自民党の最高ポストにも就任した。
彼が首相の座にあった時期には、日本は国際的に大きな躍進を遂げ、内政面では政策の方向転換が行われた。それは、彼の個性的なリーダーシップと、政治スタイルに負うところが多大であった。先進7カ国から成るサミット(主要先進国首脳会議)に、日本の首相としては初めて、積極的に力強く参加し、日本が経済大国として、国際舞台に登場したことを世界に強く印象づける役割を果たした。
一方、激化する日米の貿易摩擦に対処するため、彼はレーガン大統領との個人的な"ロン=ヤス"関係を頼みとして、両国間の緊張緩和に努めた。対外関係についての中曽根氏の全般的な考え方は、日本は経済力の増大に応じて、"国際化"を進めるべきだということだった。
内政については、率先して行政改革に取り組み、国有企業の民営化をはじめ、行政機関の規模の縮小や統合化を推進した。さらに国内経済については、従来の輸出主導による成長から、国内需要の増大による成長へと、大きく転換する方針を打ち出した。
総理の座を退いた後も、中曽根氏は政界の実力者として活躍を続けている。その一端として、政治・経済に関する国際安全保障問題に焦点を当てた研究財団「世界平和研究所」は、中曽根氏が最近設立した機関である。
以下のインタビューは、HBR誌のマネージング・エディター、アラン M. ウェバーが、中曽根氏の東京事務所を訪れて行ったものである。
日米関係の現状とそのゆくえ
HBR(以下略、ゴシック部分はHBR):アメリカの国力はピークに達し、これからは下り坂に向かうと思いますか。
中曽根康弘(以下略):いやそうは思いません。大多数のアメリカ人はポール・ケネディ教授が"The Rise and Fall of the Great Powers"(邦題『大国の興亡』草思社刊)の中で述べている意見には賛成しないにちがいありません。
いろいろなセミナーで聞いたところでは、多くの研究者たちも、彼の見方には異論を唱えています。私も賛成できません。



