自分の担当している事業会社が切迫した状況にある中で、部門担当の副社長は鉛筆書きした大判の集計用紙以外何も持たずにトップマネジメントとの年次戦略会議に臨んだ。彼は、事業計画書やオーバーヘッドスライドを持ち込まなかったし、また実務担当スタッフすら連れていかなかった。しかし、飾り気のない集計用紙を使い、彼は、担当している業績低迷中の子会社が直面している難しい選択を描き出してみせ、自分の計画案を示した。6人の最高幹部は、熱心にその提案を議論し彼に質問を浴びせかけた。最後に議長が参加者を制し、その事業に対し引き続き投資することを決めた。

 私が年商20億ドルの工業用ガスメーカーの経営計画担当部長として出席した多くの会議の中で、この一例がまさに、大企業においてどのように計画が決定や否決されるのかを教えてくれた。

 明らかに計画理論とその実際との間にはかなりのギャップがある。計画会議は、担当している守備位置を守ることにより強い関心を持っているプレーヤーたちに典型的に代表されている。彼らは、足元の火を消すことに忙しすぎて将来のことを考える余裕はなく、また、何かを決定すればそれを実施する義務を負うことになるので、決定することを恐れている。意思決定をする人間は、厳密な分析から集められた冷徹で確固とした事実に動かされるのと同じ程度に、友情、評判に対する関心や自己の利益により動機づけられることも多い。計画書の類は往々にして参加者たちが抱えている切迫した問題を無視しがちであり、その結果筋の通った合意に基づく行動計画を策定するのに失敗してしまうことが多い。

 経営計画担当部長としての私の最初の仕事はなんと、年次計画作成用にそれまで会社が使っていたかさのはる書式の改定作業であった。当時、会社はプランブックなるものをつくっており、計画策定期間の終了時には社長のもとに、事実関係や数字、図表それに市場や競争相手に関する冗長な散文調の報告がぎっしり詰まった高さ1ファートにも及ぶ、ぶ厚い三ツ穴バインダーの山が届けられていた。問題は、最高意思決定者たちがこのプランブックを読まなかったことだが、事業活動の指針としてこれが役にも立たないものであったからである。

 私は、機能しなかったのはプランブックそのものでないことにすぐに気がついた。公式に書かれたものや提出されたものはほとんど機能していなかった。戦略計画は読まれなかったし、プレゼンテーションは前向きな意見交換を誘発せず、ポートフォリオ分析は無視され、財務予測は信頼されていなかった。マネジャーたちは、本社からフォームを埋めプレゼンテーションを行うよう求められるので事業計画策定のプロセスに参加しているにすぎなかった。彼らは、そのプロセスに参加することに自分たちにとっての価値を見いだしていなかったのである。

 この書類志向型の計画策定は、経営幹部たちが、時間の大半を長々とした書類を作成したり読んだりするためにではなく、打ち合わせのために使うこと、地位が上にいけばいくほどこの傾向は強まることを計算に入れていなかった。

 危機に直面していた例の副社長は、彼の上司たちが会議で発言したい本音部分をよく知っており、彼らの没頭している問題も十分理解していたので、自分の提案はその本質部分をまとめただけのものにしたのである。彼が私に教えてくれた簡単明瞭な事実は、会議とは計画が現実のものになる場である。すなわち、採決か否決かいずれにせよ決定が行われる場であるということであった。自分のアイデアを上司に承認してもらいたいと思ったら、そのアイデアを売り込むことである。まず、上司に自分が重要だと思う項目――ビジョンや行動計画――に注目してもらうことだ。これには簡明さが要求される。中味の薄いことを誇張してくどくどと退屈な説明をしてみても、だれも耳を貸さないであろう。上司たちは確実に覚えていないであろうし、会議の席上、何が話されたか覚えていなければ何の計画も実行できない。

 この小論は、事業計画についてよりも、むしろ会議について多く述べたものである。そこは、予算、機材購入、増員の承認など、上司の意思決定を求める場なのである。

 何年もかかって私は、最高経営責任者が計画案に承認を与える前に、次の4つの問いに対する答えを求めることに気がついた。

1. 何の計画か。
2. なぜ、その計画を推すのか。
3. 目標は何か。
4. 実現するのにいくらかかるのか。