数年前、製造業を基盤とするある大手のコングロマリットが、1人の才能ある数学者に自社のスタッフに加わってくれるよう懇請した。彼に与えられた最初の仕事の1つは、上級幹部が、会社のさまざまなディビジョンの業務効率を評価するために使うシステムの設計であった。彼はこの仕事に何ヵ月も全力を注ぐとともに、何人かの大学の専門家の知恵を借りることもした。その成果は、過去の業績データと経済予測を総合し、各ビジネス・ユニットごとに生産性水準の目標値を設定するという、まことに精緻なものであった。

 しかし経営陣が非常に困惑したことに、結果がでてみると、各ユニットのうち満足いく業績をあげているものは1つもないと、そのモデルが示唆したのである。そこで本社は当然の疑問を発した――なぜだ。それなりに立派な利益とキャッシュフローを示している組織が、生産性の点ではどうしてこんな不本意な数字を示しているのか。この専門家はこの疑問に答えることができず、また彼のモデルもそれができるようには設計されていなかった。幹部たちがこの新しいシステムにほとんど価値を認めず、これを破棄してしまったのも驚くにはあたらない。

 生産性測定に不可欠なのはその実効性である。競争力強化を願う多くの企業は、自社の工場とオフィスの効率を追跡するための各種の手法に、多大の金を注ぎ、信頼をおいている。通常、社内の専門スタッフあるいは社外のコンサルタント――コスト会計、統計、および経済のエキスパート――が、これらのシステムの設計に際して重要な役割を果たす。だが専門家は、技術的な洗練と生産性指数の統計的精度を重視する訓練を受けているのがふつうである。その結果、彼らの導入する手法はきわめて精確ではあるが、逆にマネジャーが直面する現実のチャレンジを無視することがあまりにも多い。

 ここ数年間、筆者は全米の工場をまわって生産性測定システムに関する情報を収集し、マネジャーたちを対象に面接調査を行なってきたが、その間、効果的な生産性測定システム、すなわち業務効率の改善に大きく貢献しているシステムの実例を数多く見てきた。しかしそれ以上に筆者がしばしば実見したのは、欲求不満と混乱であった。管理者は、専門家が開発した生産性指数を見て、「これを提案したのは誰だかしらないが、その人は私の仕事がどんなものかまったくわかっていない」ということだろう。

 ひとことでいってしまうと、生産性測定は生産性専門家に任せてしまうにはあまりに重大すぎるということである。といっても、既存のシステムを自分のニーズに合致させ、また新しいシステムを実効あるものとするために、管理者自身がエキスパートにならねばならないということではない。むしろ一連の現実的なガイドラインに従うことが、生産性測定技法を効果的に理解し、評価し、そして運用するうえで助けとなろう。

直接労働を超えた見方をせよ

 生産性とは何か。意外なことに、工場の効率改善のための決定を日々行なっていながら、この単純な質問に答えられない人がきわめて多い。そこでまず、生産性の範囲に含まれないものは何かという問題から始めてみよう。

 生産性は賃金の問題ではない。高賃金は実際に問題となることがあるが、それは労働者への支払いが過大であるからではなく、その生産が過小だからである。生産性測定を最善のものとするための決定に際して、管理者は時間当たりの賃金ではなく、製品当たりの労働コストに注目すべきである。つまり労働投入量ではなく、要素労働である。リンカーン・エレクトリック社などのメーカーの例が示しているように、きわめて生産性の高い従業員に対しては、よその労働者より何千ドルも高く払っても、企業は依然として繁栄していけるのである。

 生産性測定は能力全体を対象とすべきであって、ある一組のコスト要素だけに絞るべきではない。大量の原材料、一群の機械類、山のような書類仕事、さらには従業員の集団を使い、これらを有用な商品やサービスに転換していくという業務については、自分の会社はどの程度の水準にあるのか。これが生産性指数の対象とすべきものなのである。これは物理的な投入と産出との関係以外のなにものでもない。公式はあっけないほど単純である。すなわち、

生産性=産出量/投入量

 一定の投入(資本、労働、および原材料)を用いて、より多く生産する会社、あるいは同一の産出をより少ない投入により生産する会社は、より少量しか生産しない会社に対して優位にある。投入コストが低ければ、この優位をさらに付加できるが、これは生産性測定が対象とする主たる優位ではない。生産性指数の中心的な役割は、企業がいかにすれば競合企業に比べて、労働時間当たり、機械1台当たり、あるいは材料1当たりの産出単位を高めることができるかという点を明確に示すことにある。

 にもかかわらず、アメリカ企業の大部分は依然として直接労働に捉われた先入観を抱いている。全国レベルでいえば、生産性指標とは文字通り労働生産性を意味する。したがって生産性情報の第一の情報源である労働統計局が、労働生産性に焦点を絞っているのは十分に論理的なことである。コスト会計がこの偏向をさらに助長している。例えばオーバーヘッド・コストは多くの場合、労働時間数のみにもとづいて配分される。このアプローチは労働時間数が総コストの大きなパーセンテージを占めている場合には合理的といえるが、今日、多くの企業では労働はコスト要素としては相対的に小さな比重しか占めていない。あるいはまた、この先入観は単に、業務の管理が"尻を蹴飛ばして名前を控える"式のやり方を意味した年月があまりに長かったことからきているのかもしれない。労働者を説得してもっと働かせることが効率のすべてであるとすれば、労働生産性を強調することにも意味がある。