すでに過去10年以上にわたり、日本は、その市場を米国製品に開放すると約束してきた。そして、これまた10年以上のあいだ、米国の対日赤字はふくらみつづけてきた。約束と実行のあいだのこの食い違いの理由は明らかである。つまり、米国のもっとも競争力ある輸出品――とりわけハイテク製品――が、日本が自国の輸出市場向けのターゲットとしてきた製品と同種のものだ、ということである。世界市場向けに生産している国内産業を維持するために、日本は自国内において、それら産業を米国の輸出品から保護しているのだ。しかし今や米国メーカーが、自分たちの将来に日本市場は存在しないという事実に目ざめるべき時である。米貿易赤字のことを考えて、日本がその戦略的な国内的目標設定(ターゲティング)を自発的に犠牲にすることはないであろう。

 わが国の貿易赤字がふくらみつづけてきたということは、すなわち米国のビジネス、雇用、テクノロジーがどんどん失われてきたという意味にほかならないのだ。米経済のこの危険な侵食を食いとめるために米国は、微妙に調整された報復的な――かといって保護主義的ではない――貿易政策を採用するとともに、慎重に計画された何らかの産業目標を設定しなければならない。こうした双面的なアプローチこそは、米国マネジャーと企業に、日本の競争相手と公正かつ効果的に競争するための手段を最終的に授けることであろう。

日本市場は開かれているか

 ここで過去10年以上にわたる日本の貿易上の約束と実行を手短に述べてみると、日本が世界経済というゲームをどのように演じているかが明らかとなる。

 □ 1977年1月、日本政府は、同国の巨額貿易黒字相殺のため、経済活性化の包括案を発表。

 同年、米国の対日貿易赤字は、76億ドルに急増。

 □ 1981年、日本政府は輸入増大をおごそかに約束。日本市場開放のため、関税引下げを含む貿易包括案を採用。

 同年の対日貿易赤字は、136億ドルに達する。

 □ 1982年、米の憂慮すべき貿易赤字削減のための努力を、日本政府は倍加。日本政府の通産相は、輸入品に対する非関税障壁除去のためのドラスチックな行動をとることを約束。そして、日本政府は、外国商品に対する日本市場開放のため、新たな関税引下げを含めた、新たな貿易包括案を採用。中曽根首相は、その内閣に対し、輸入を増やすよう公的に指示。

 同年の米国の対日貿易赤字は、わずかながら緩和して124億ドルに。

 □ 1983年、日本は、国内消費刺激と関税・非関税障壁削減をねらいとした貿易計画を採用。