「富への執着は、ときに貪欲に陥ったり、ときに唾棄すべき極端に走ることがあるとはいえ、いずれの国にとっても繁栄の根源である」。

エドマンド・バーク
"Third Letter on Regicide Peace"より

 知ってのとおり企業家精神は今や流行である。1980年代は自由企業のブームの時であり、このブームにおけるヒーローは新製品あるいは革新的なサービスに賭ける独立独行の男、剛胆な資本家、自らリッチになると同時に、まわりの皆を少しリッチにさせる者である。1960年代を通じて、ジャーナリスト、政治家、映画制作者たちは、平和部隊に、大学に、あるいは文字どおり自分たちの"意義ある何か"の遂行に自らを捧げる男女に対して惜しみない関心を寄せた。だが今やマスコミは、新しいソフトウェアの発明やハーブ茶の販売など、自分たちの事業を成し遂げ富を掴んだ人びとを賞賛する。さらに企業家精神は、1ダースばかりのベストセラーの"ハウツウもの"や、Inc誌、さらには公共テレビ・シリーズに至るまで、自分たちのメディアを実際に打ち出すまでになっている。

 こうした企業家的ギャンブルは実に刮目すべきものではあるが、けっして新しいものではない。いつの時代にも、人びとがまだ必要性に気づいていないものが売り出される例は山ほどあったし、企業家(アントルプルヌール)という言葉自体が、そのフランス語の語源からすれば産業資本主義の初期のころに遡るのである。新しいのは、もっと正確にいえば新しくよみがえったのは、社会や文化の趨勢を論じる人びとによって企業家の使命が祭り上げられ、喝采を浴びている点である。

「過去に遡ればアメリカのヒーローは数知れず」、とドナルド・ランプロは叙事詩風にいう。「政治の舞台で、宇宙開拓で、銀幕の上で、新たなフロンティアを開拓し、記録を破り、その勇気の証とカリスマ的なやり方によりわれわれを魅了し、われわれの心を奪った人たちである。しかし今や、新しい種類のヒーローが時代の要請に応えて現われている。すなわち、われわれすべてにとって、より健全で、より繁栄した社会を、国内、国際を問わずより確実に約束すると期待される企業家というヒーローである(1)」。

 よくあることだが、これももちろん言葉上の問題であり、このことはなによりもその言葉の陳腐化の速度を見るだけで明白にわかる。企業家精神は、それがまじめに議論されるまえに、常套句に、そして突き進むべき機会になってしまったのである。その証拠に、ニューヨークのコミュニティ新聞、ディスカバリー・センター紙の次のような発表を見よ。「彼は60年代の政治革命を主導(原文のまま)し、そして今や80年代の企業革命を主導しつつある。ヒッピーのかつての創始者であるジェリー・ルービンは、今日のヤッピー世代からD*O*L*L*O*R*S$$$$$$と綴るお告げとプロの洞察力を期待される男である……そこで80年代のマスター企業家、ジェリー・ルービンとともに、あなたの人生を変える一夜を過ごそう」。

 しかし、たとえジェリー・ルービンの"ワークショップ"がわれわれの笑いを誘うとしても、それが何からなにまで笑い事というわけではない。企業家精神の大盤振舞いがビジネスについての真剣な議論に水をかける可能性があり、そしてもし、イワン・ボスキーやその同類が、いささかでもモデルになるようであれば、ビジネスの世界に入ろうとする世代全体をおとしめることになるかもしれない。

 最も不幸なことは、企業家精神とマネジメントは互いに対立するものだという見方を固定させるような傾向が存在することである。企業家とは対照的に、企業幹部とは例外なく腹が出て、直接的な圧力でパニックに陥り、抽象的な戦略にはたけているが、切った張ったの現実には弱いと見られることが多い。なかには企業管理者は自社の権益を守ることにはすばやいが、自由企業体制の長所を発展させることについてはなかなか腰を上げないと批判する者もいる。そのCEOの経営する会社が、ある一匹狼の企業家の夢から生まれ出たものであることは十分に考えられるのだが、しかし、いったい誰が企業管理者をヒーローとみなそうか。

 企業家が至上の高みに奉られるとしても、それが直ちに企業管理者たちをおとしめることにはつながらないはずである。しかるに企業家精神に対する最近の賞賛は、マネジメントのそもそもについて誤解をもたらす結果となっている。問題の大部分は、レーガン時代の"新しい"企業家資本主義をもてはやす階層が、ビジネスや経済の専門学徒よりも、むしろ専門的なモラリストにより主導されていることからきている。これにはいささか説明が必要である。

若干の歴史

 この傾向が正確にはいつ始まったかを指摘することは難しいが、手近な資料を見るかぎりでは、1980年の大統領選挙キャンペーンとロナルド・レーガンがホワイトハウスに入ったころを指摘できる。新しい大統領と彼の演説起草者たちは、アービン・クリストール、ジョージ・ギルダー、ジュード・ワニスキ、ポール・クレイグ・ロバーツといった批評家、あるいは、ワレン・ブルークス、マクスウェル・ニュートンなどのジャーナリストの影響を強く受けていた。