昨年あなたは、会社にとって有望と思えた新規プロジェクトに50万ドルの支出を承認した。現在までのところ、結果は思わしくない。プロジェクトを動かしている人びとは、あと30万ドルあれば事態を好転できるという。追加資金がなければ、ほとんど望みはないと彼らは泣きついてくる。はたして、あなたは資金を追加し損失をさらに増大させるリスクをとるか、それともプロジェクトを中止し、あまんじて50万ドルの損金計上を容認する道を選ぶだろうか。

 管理者とは、こうしたジレンマに毎日のようにぶつかるものである。これは、従業員を開発し、配置することから、プラント・サイトの選択、重要な戦略上の変更まで多岐にわたる。追加投資で事態は打開できるかもしれないが、もっと大きな損失が出る危険もある。多くの場合、あくまで続行すると決定することはリスクのエスカレートをもたらすだけであり、したがって優れた経営者は、いつプラグを抜くべきかを知っているものだ。

 このようなエスカレーション状況はトラブルのもとである。われわれの大部分は、ある行動方向の深みにはまらず、いつそこから脱すべきかを考えることが可能である。野心的なロッキードL1011の失敗やワシントン公共供給システム(一般にWHOOPSといわれる)の崩壊は、組織がこれに失敗した典型的な例である。こうした欠陥ベンチャーに固執した決定が莫大な損失の原因となったのである。

 もちろん、どんな管理者にも失敗はつきものだし、特定の決定に必要以上に長くこだわることはある。しかし最近の研究によれば、誤った行動方向を追及するこうした傾向は、けっして無作為の現象ではない。事実、一部の管理者、時には組織全体すらもが、あたかもプログラムされたかのように破滅への道をたどることが少なからずある(1)。

 企業幹部をかくもばかげた行動に導くのは、いったいなんであろうか。彼らは、もともと責任ある地位に選ばれる資格がなかったのか。単にその会社が無能力であったのか。それとも、管理者、企業ともに一般的に有能でありながら、気がついた時は、さまざまな圧力から深みにはまってしまうという意思決定の蟻地獄にひきずりこまれたのか。筆者たちは、おそらくこの最後の表現が真実に近いと考えるが、ただ、この傾向が不可避だとは考えてはいない。ややもするとエスカレーションの罠に陥りがちな管理者や組織も、これを回避するためのステップをとることができるのである。

なぜ制御不能になるのか

 人びとが、行動方向を誤る形に縛られてしまう原因を理解するに先だって、まず純粋に合理的な意思決定アプローチとは何かを考えてみよう。例えば、あるR&Dあるいはマーケティング・プロジェクトの遂行ないし放棄の決定を考えてみよう。あなたは、将来の見通しをもとに、そのプロジェクトを遂行する最初の決定を行ない、その後、事態の進行状態を判断するに十分な時間が経過したとする。理想的には、あなたは、その時点で状況を改めて評価しなおし、以後の行動について決定することになる。完全に合理的なアプローチに従っているならば、この決定の時点までにいかなる損失が発生していようと、あなたの再評価とは別問題であるはずである。冷静かつ明晰な眼をもって、あなたは今後の見通しや可能な選択肢を考察する。そのプロジェクトの放棄、継続、あるいは資源の追加投入のどれが会社にとって望ましいか。あなたは、その以前の出費や損失を埋没原価(sunk cost)として処理し、それまでの出来事も将来を考える際には考慮の外におくことになろう。

 純粋な合理性は理論上は偉大なことではあるが、はたして、どれだけの管理者や組織が実際にこれに従っているであろうか。けっして多くはない。むしろ逆に、意思決定者を誤った行動方向に縛りつけるよう誘導するいくつかの要因がある。

 プロジェクト自体の問題

 第1の要因群は、プロジェクト自体にかかわるものである。「プロジェクトがうまくいかないのは、われわれの計算に重大な要因が抜けていたためか、それとも単に発生を予期していた問題の下降局面を経験しているにすぎないのだろうか」、「問題は一時的なもの(悪天候や早晩解決が見込めるサプライヤーのストライキなど)なのか、それとも、もっと長期的なもの(需要の急激な落ち込みなど)なのか」、予想された、あるいは短期的な問題は、むしろプロジェクトの継続を推進する方向に働くことが多い。逆にこれらを、大きな長期的利益を達成するために必要な、必要経費あるいは投資と見なすかもしれない。もし問題の発生を予期していたとすれば、それが起こった時、事態が計画どおり進んでいる証左と考えることだろう。

 またプロジェクトの救助財産価値(salvage value)と撤収コストも撤退をためらわせる要因となる。企業幹部としては、広告キャンペーンの場合なら途中であっても単に中止すればよいが、半分完成している設備の作業を中止するとなると話は別である。救助財産価値がきわめて小さく、かつ撤収コスト――中途解雇従業員に対する支払い、契約違反に対する違約金、設備の閉鎖に伴う損失など――が大きなプロジェクトの場合は、支出が回収可能で撤退も容易なプロジェクトに比べて、放棄がはるかに困難であろう。財政的に疑問のあるかくも多くの建設プロジェクトが、合理的な撤収時期と思われる時点をすぎてまで、なぜ遂行されるかが理解できるゆえんである(2)。

 シカゴの深部トンネル・プロジェクトを考えてみよう。これは市の下水システムを大幅に拡張して、結果的に大型台風にも対処できる能力まで改善するという計画であった。このプロジェクトは数百万ドルを呑みこんだが、システム全体が完成するまでは、なんの利益ももたらさないものであった。悪いことに、各年度が経過するにつれ、完成予定時期がずれ込んでいき、この間、完成に必要な作業のための経費は幾何級数的に増大していった。もちろん現実のコストが最初からわかっていたら、誰もこのプロジェクトを提唱しようとはしなかっただろう。しかるに、いったん始まってしまうと、プロジェクトの抹殺を主張するものは、ほとんどいなかった。