戦略とは、安定した優位のもとで長期的な「地代」を稼ぎ出すような大きな勝負手によって、いかに競合者を出しぬくかである、と純粋理論家は主張する。このような主張自体、いつまでも通用するものかどうか疑わしい。戦略は、それよりずっと複雑であり、同時に単純でもある。

 戦略に関する教科書は猛烈とか精力的とかいうことの重要性を、ほとんど申しあわせたように無視している。この種の本は、戦略的プラニングとか競争戦略とか競争優位は説いているが、それらとは違った信念を強力に実行して大成功を収めている驚くべき多数の企業についての記録は見過ごしている。

 これらの企業は競争相手に対する過度の先入観念にもとづいた長期戦略計画はもっていない。彼らは小事を実行し、それを的確に達成することに精力を集中する。ハッスル経営が彼らの流儀であり、戦略である。彼らは迅速に動き、ポイントを的確にとらえている。

 このような企業の幹部たちは、管理暗黒の時代に生きているのだろうか。彼らのハッスル経営を大きな強力な戦略計画に結びつけたら、もっとうまくいくのでないだろうか。私は、その答えは"ノー"であると信じる。

 どんな事業でも、はなばなしい戦略的行動によって永続的優位をつかむ機会は、めったにない。最も重要なことは、活力と機敏さである。この2つの特質は常に必要とされており、常に重要である。にもかかわらず戦略的プラニングの理論家たちは大方、それを無視している。あらゆる産業の無数の企業が、新旧を問わず、また成熟しているか成長期にあるかを問わず、ついに戦略の限界に気づき、戦術と実行に全力をあげ始めている。秘密が存在しない世界、イノベーションがすぐ模倣されるか陳腐化するような世界では、競争優位の理論は、すでに過去のものとなったのかもしれない。試みに、自問してみるがよい。競合企業のすべてが互いに自社の戦略計画を明らかにしたとしても、それでどこか変わってくるだろうかと。

一発勝負

 競争戦略に関する従来のモデルによれば、企業は競合者が乗り越えられないような障壁を作りあげることによって、ライバルに対する永続的優位性を求める必要がある。障壁にも、いろいろ異なる種類の障壁がある。強固な流通システムとブランド・ネーム、独占的技術またはパテント、きわめて高効率で立地条件のよいプラント、広範なサービス施設、強力な取引関係、広範囲なコミュニケーションズ・システムなどである。

 コカ・コーラがペプシの攻勢に対する反撃としてニュー・コークを発売したのも、コダックがポラロイドのパテントを完全包囲しようとしたのも、あるいはアップルがオフィス・コンピュータ市場におけるIBMの圧倒的支配に対し強襲をかけたのも、みな一発勝負によって敵を打ち負かそうとした例である。しかし、一発勝負理論にそれだけの信頼をおいても、結果は全3社が希望したほど、うまくはいかなかった。

 金融サービス業ほど大芝居の限界が如実に示される業種はない。たしかに、金融サービス会社のなかには永続的な競争優位を確立するのだと勇ましい話をするところもあるが、どういうわけか彼らの言葉は、例えば製造会社が追求するような精緻な戦略に結びつかない。事業計画の中身は、売上げや原価や利益や従業員数の目標と、競合企業の能力に対する簡単な評価("強い"、"普通"、"弱い")である。時には自社自身の競争優位性について"豊富な資金"とか"従業員がわが社の最大の資産である"とかいうたぐいの曖昧なコメントが添えられている場合もある。

 金融サービス業界のリーダー何社かは、収益が安定しており、同時に金融業の現実をわきまえているから、競争戦略宗派に賛同してはいない。ウォーレン・バフェットの言葉をかりれば、「金融サービス業界には大きな永続的競争優位など、ほとんど存在しない(1)」。1972年に金融市場オープン投資信託を発明したのはザ・リザーブ・ファンド・オブ・ニューヨークであるが、同社の競合者は今では300以上を数え、同社のマーケットシェアは、わずか0.8%である。

 新製品を開発しても、それはすぐ簡単に安くまねができるので、新製品開発の恩恵は短期に終わることが多い。新製品の概要は、競合者が簡単に入手できる商品案内書によって広まる。案内書に全部書いてなくても、退職者がすべてをばらしてしまう。投資銀行のプロたちは、たぶん自分が身をおく市場に教えられたのだろうが、1万ドルでも多く出すところがあれば、即座に職場を変える。