コンピュータは企業や団体のすみずみにまで普及し、コンピュータに対する人びとの知識と熱意は増大してきているが、必ずしも期待した成果が得られているというわけではない。エンドユーザー主導のコンピュータ化は、ユーザーが自ら適用業務を開発することを可能にしたが、それはコンピュータの分野に、これまでで最大のインパクトをもたらす可能性をもっている。しかし、こうしたエンドユーザー主導のコンピュータ化は、多くの企業・団体にとっては予想以上に効果が小さく、費用も高くつくものであった。優れた成果をあげたところもある。これまでの経験はさまざまであるが、エンドユーザー主導のコンピュータ化は広まりつつある。今では、誰でもコンピュータ化を進めることができる。しかし、どれだけの費用を出せば、それが可能になるであろうか。

 エンドユーザー主導のコンピュータ化という現象が生じた背後には、いくつかの力がある。1970年代初頭には、ユーザーは、いわゆる"頭脳をもたない"端末機を使って、集中化された情報を検索することができた。しかし当時は、英語(訳注:つまり日常使用している言語。以下英語という場合は、すべてこの意味)による対話型言語は、その初歩的なものでさえまだ普及していなかったために、ユーザーは簡単な操作をするのにさえ、複雑なコマンドに習熟しなければならなかった。何か問題が生じたときには、ユーザーは、中央の情報システム(IS、information system)グループを呼び出した。

 1970年半ばまでに、多くの企業は情報センターを設置して、人びとに情報部門からのある程度の自由を与えた。この新しい情報センターは、多様なサービス――教育・訓練、技術的支援、そして検索だけか、あるいはコピー変更という形による顧客データベースなどの企業ファイルへのアクセス許可――を提供することによって自立性を高めた。

 1980年代初めにはパーソナル・コンピュータ化の登場があった。これは基本的には、ユーザーが独自に低価格のハードウェアやソフトウェアを購入することにより、IS部門の外で進行した。この新しいシステムは習得が容易であり、その結果、ユーザーと中央のIS部門との間のギャップが拡大することになった。しかし、その代償は大きかった。初期のパソコンは通信機能をもっていなかったために、パソコン同士でデータのやりとりをすることができなかったし、会社のメインフレーム(中央の大型コンピュータ)に自由にアクセスしてデータを扱うこともできなかった。

 パソコンが多くの非技術系のマネジャーたちの机上におかれるようになると、IS部門とは独立に、ユーザー自身が適用業務を開発することが必要になった。企業は、こうした必要性に対してさまざまな形で対応したが、そのうち、ほとんどの企業が採用した方法は、後にユーザー主導のコンピュータ化といわれるようになるものであった。

 例えば、IS部門は、エンドユーザー主導のコンピュータ化を支援するグループや全社情報センターという形を通じて、ユーザーが個別にコンピュータ化にとりくむことを促進することになる。この場合の支援としては、英語による開発言語の教育やコンピュータ実習の推進をはじめとして、高度なパソコンとメインフレーム間のリンクによる全社データベースの開放などが含まれる。

 エンドユーザー主導のコンピュータ化がどのような形ですすめられるとしても、それによって、技術に詳しくないマネジャーでも、安価な既製のパソコン・プログラムの平易さと能力を存分に活用しながら、IS部門のバックログ(平均3年に及ぶこともある)を軽減したり、自分自身で問題を解決することが可能になる。

希望と現実

 私は、強力なIS機能の経験をもつ大企業17社を調査したが、その結果、11社が重大な問題を抱えていることが明らかになった。しかし、残りの6社は、高いROI(投資収益率)をもっており、マネジャーが障害を克服しうることを示している。私が調査した企業は、業種もさまざまであり、立地地域も全米に広がっている。そして、いずれも15年以上のメインフレーム利用の経験を有している。年間の純利益は1億ドルから5億ドル、従業員数は3000人から4万5000人の範囲にある。しかし、エンドユーザー主導のコンピュータ化が成功しているか否かは、企業の規模には、まったく関係がない。

 問題を抱えている11社は、スタートの時点から失敗の予兆を示している。このうちの4社は、予算を分離する措置もとらないままで、膨大なエンドユーザー主導のコンピュータ化のためのサービスを計画していた。これらの企業の損失を数えあげていけば、エンドユーザー主導のコンピュータ化を推進する過程で避けうべき問題点が明らかになる。

 □ ある金融機関は、8社をくだらない業者からパソコンを購入していた。さらに問題を厄介にしていたのは、5つの業者とメンテナンス契約を結んでいたことである。これらメンテナンス契約のうちただ1つの契約だけが、即日サービスを約束していた。他の業者の場合には、サービスの遅れは数週間にもなっており、また導入した機械の10%は動かないままに放置されていた。