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対中取引を実行可能なものとするという言葉は国際取引マネジャーの間ではもはや死語に近い。中国における合弁事業への投資は今や災厄に身を投じるに等しいものとなっている。ニューヨーク・タイムズから香港のサウスチャイナ・モーニング・ポストに至る各紙の記事には、多国籍企業(MNC)幹部が、毎日のように発生する経営問題のために、興醒めし、熱意を失い、そして多くの場合、呆れはてるケースが繰り返し掲載されている。
オーチス・エレベータ社の取締役としてオーチスの天津の合弁事業の設営に携わっていたころ、ホテル住まいをしていた私は、よくそこで夜がふけるまでお馴染みの不満を決まり文句のように聴かされたものだ。
いわく「本当の問題は取引の交渉過程にあるのじゃない――真の問題は契約にサインした時から始まる」
「おそまつなインフラストラクチャに対処するのは、それほど難しくない――私の場合、ともかく、どうしようもないやり方しかしない従業員が頭痛の種だ」
「中国側はわれわれの技術を欲しがるが、マネジメントの助言には耳をかそうとしない。銃は欲しがるがブルージーンズはいらない。ハードを望むが、ソフトは要らんというわけだ」
「こんな会社は見たことがない。生産部門は生産技術に関心がない。人事は財務に無関心。おまけにマーケティングを知っている者は皆無ときている」
こうした経営上の不満や不運は、いささか割り引いて考える必要がある。ルシアン W. パイによれば、多国籍企業のマネジャーは、どんなビジネス機会に対しても過剰なほどの熱情で食いついていくが、それだけに、たまたまそれが思いどおり進まないと掌を返したように、その機会を猛烈に批判する。私自身が思うには、外国企業側の幹部は中国流の仕事の進め方に対して、あまりにも性急に背を向ける傾向がある。
結局のところ、問題のあるものは単に運が悪かっただけの話である。多くの合弁事業は見合い結婚のようなもので、MNCは政府の仲人役の慎重な配慮のもとに中国側のパートナーと結婚させられるが、なかには文字どおり相性の悪い組合わせも出てくる。外国企業の幹部はパートナーの能力や潜在力を事前に判断する術がなく、後になって中国のレモンの質がよくないために、面倒を背負いこまされることになる。
問題のあるものは、多国籍企業側の戦略的配慮や投資、あるいはその双方が過小に過ぎるところから生じている。この種の発展途上国では問題はすべて技術的なものであり、確固とした財政的、戦略的参加など不要との誤った判断にもとづき、彼らは技術と名ばかりの経営組織を提供するのみであった。例えば、よく知られているアメリカン・モーターズの合弁事業の窮境は、中国でビジネスを行なうに当たって避けられない多くの問題とともに、同社の不十分な財務計画と非現実的な設備投資によるところが大きい。
もちろん、運の悪さや外国投資家の力不足だけで、すべての問題の説明ができるわけではない。この国の開発水準は事実、低い。インフラストラクチャは貧弱、経済体系に対する国家経済計画の影響力は依然として大きい。今日の中間管理層を供給すべき世代に対する文化革命の後遺症は壊滅的ともいえるほどである。こうした諸問題に対する短期的な解決策はほとんどなく、時間と経済発展に解決を委ねるほかはなかろう。しかしながら、こうした困難が現実に存在するからといって、外国企業幹部の能力が、歴史の後遺症や中央計画経済に対処できないほど劣っているというわけではない。彼らは拱手傍観し、中国国営企業の顧問の地位に甘んじ、北京のバーで戦争話に花を咲かせて夜を過ごすだけの存在であってはならない。



