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1970年代のはじめのころ、私はある小さな生産会社への就職をめざして願書を出した。工場長との面接はうまく進んだし、この職に採用されるチャンスは大きいと考えはじめていた。しかし、この工場長は急に面接を中断し、私の願書を片すみに押しやって、次のようにいった。
「君に対して私の正直なところをいっていいかい」
「どうぞ」と私は答えた。
「まあ、こんなふうにいえるかなあ。君は、とてもすばらしい若者だと思う。しかし、この願書のなかに、君は1年間ベトナムで過ごしたと書いてある」
「たしかにそうです」と私は答えた。
「まあ、そこのところが私にとって問題なんだ。私だって、この工場をうまく運営しなければならないし、ここで君を採用して失敗をおかす危険はとれないわけだ。ベトナムについては、いろいろなことがいわれているし、ベトナムへいった人たちに対する影響もいろいろいわれている。だから私の君に対する意見もけっして個人的なものでなくて、あくまでビジネスからきたものだ。もし私が君の立場だったら、ベトナムにいたという経験は、いっさいなかったことにしようと考えるだろうね」
私はそのときに、完全に打ちのめされた気分で座り続けたことを覚えている。そのすぐ後に彼が立ちあがったが、私自身はまだ、ぼんやりしながら彼と握手をし、彼が私にドアを示してくれたときに、彼が貴重な時間を使って私にあってくれたこと、彼が正直に話をしてくれたことに感謝の言葉を述べた。
そのあと、その地域の退役軍人管理の担当者に、このいきさつを話した。
「その場に、だれか証人がいたかね」と彼が尋ねた。
「いや、証人はいなかった」と私が答えた。



