マネジャーの仕事が、複雑で難しいものであることには、誰も異論がないであろう。彼らはじつに、いろいろな方面からの要求に悩まされる。単に上役からあれこれいわれるだけでなく、政府関係、部下たち、さらには企業の運営に発言権を強めようとする組合代表からの要求にも対応しなければならないし、いろいろな期待をますます高めてくる地域団体その他の圧力グループからの要求にも悩まされる。しかも、それらの要求は、互いにあい反するものが多いのである。

 これら多岐にわたる要求に対応するに当たって、管理職はしばしば、自分の立場に深刻な影響を及ぼしそうなグループの要求を満たそうとする反面、それと同時に、自分自身の問題にも対処しなければならない。こうしたあい反する要求やら制約やらのはさみうちから、仕事上のプレッシャー、緊張が高まり、これがストレス関連の病気(illness)を生じさせることになるわけである。

 仕事上のストレスという問題については、マスコミがいささか誇張しすぎている面もあるとはいえ、過剰な緊張を経験しつつあるマネジャーは多いのである。また、ストレスというのは、それを感じることが、即、現実なのである。そこで問題は、これにどう対処するかだ。ある人にとっては、エイッと気合いを入れて"自分を立て直す"といった手も役立つだろうが、たいていの人は、そうもいかないのである。「ストレスが個人的な弱さとみなされる場合があまりにも多いが……実をいえば、真の犯人は仕事なのである(1)」と、最近のある報告は述べている。

 ストレスと病気に関連性があるということは、これまで多くの国の研究で強調されてきた。1981年に出された米国マネジメント協会(AMA)の調査によれば、米国のトップマネジメントの約50%、ミドルマネジメントの39%が、心臓冠状動脈疾患にかかりやすいライフスタイルに分類された。この結論は、過剰労働とか自由裁量時間の長さについての質問に対する回答から引き出されたものである(2)。

 いっぽう、オーストラリアの場合は、エグゼクティブがストレス関連の病気で死ぬと思われる割合は、同じ年齢グループの他の人びとの2倍に達する。この所見は、オーストラリア人の死因全体の47%が冠状動脈疾患によるものであり、しかも、この疾患がストレスを原因とするか、あるいはこれと関連があるという事実と照らし合わせて考えてみる必要がある(3)。

 もちろん、企業のエグゼクティブが、航空管制官とか、遠洋トロール漁船の乗組員とか、スラム地区の警官ほど高いストレスにさらされるということは、まずあるまい。また、他のグループと比較してみると、例えば米国での1979年のあるレポートによれば、年齢25歳から44歳までの男性医師の死因の4分の1は自殺によるものであったが、同じ年齢帯の白人の医師以外の人びとのそれは8.5%であった。そのうえ、医師のアルコール中毒、薬物乱用はきわめて率が高く、先の統計によれば、一般人の30倍から100倍に達している(4)。とはいえ、調査の証明するところによれば、企業マネジャーという仕事は、やはりプレッシャーの高い労働グループの1つとなっている。

 当人にとって、こうしたプレッシャーはアルコール、薬物のとりすぎにつながりやすいが、このことは仕事の遂行に影響を及ぼすとともに、組織にとってもマイナスとなると思われる。

 権限ある立場の人間が大きなストレスを感じていると、それは企業の他の人びとにも重大な影響を及ぼしかねないものである。その結果、生産性のダウン、労働移動率の上昇、仕事のおざなり化、アブセンティズムの上昇、さらにはサボタージュにすらつながりかねない(5)。

"たいへんなフラストレーション"

 明らかに、ストレスの原因は多種多様である。そのうえ、ある人間にとって不当な圧力と受けとめられるものが、別の人間にとっては歓迎すべきインセンティブとなる、ということもありうるのである。しかし、ある職務を遂行するうえでの時間不足とか、仕事の進め方を決めるうえで発言権を封じられるとかいった類のストレス因子は、普遍的なものである。これらストレッサー(編集部注:外界からくるもので、それによって脅威を感じ緊張し、そして活動を始めるもととなる一種の刺激。そして、ストレッサーによって人間の内部に起こってくる緊張状態をストレスと呼ぶ)の多くは、責任ある立場の人びとが感じる、"縄張り"の侵犯を反映するものである。

 ストレッサーの1つとして、自律性の欠如ということがあげられるが、これはつまり、ある人が仕事をどう進めるべきかということについて、自分の自由にならないと感じることである。ストレスのいろいろな影響を確かめるべく、われわれは、この自律性の欠如という問題を調べてみた。その結果、もしある人が意思決定の権限を持っていると仮定しても、その当人の上司が、どんな決定にもつねに口出しするような場合には、自律性はなくなってしまうということになる。われわれは、こうした自律性の欠如がストレスを引き起こすと仮定したのである。