通説によれば、米国経済は1965年から1980年にかけて長期景気循環の下降局面にあったことになる。政府による過剰な税負担・過剰な規制・過剰な支出で、経済は高失業と高インフレの恐ろしい病、スタグフレーションにかかった。連邦政府は、この病人の健康を取り戻すため、減税・社会福祉経費の削減・防衛費の増大を実施した。

 しかし、初診が誤っていたならば、どんなものであろうか。経済が心臓病を患っているのではなく、本当はマラソンを走っているとしたら、どうなのか。実際、外見は両方とも苦しそうである。しかし、現実は、まったく異なる。

 著者は、過去から学ぶことはできないといっている。米国経済は、1965年から80年にかけて奇跡的な実績を示した。すなわち、ベビーブーム世代の労働力化と原油価格の高騰という難問題に上手に対応した。こう考えると、経済停滞とみられた期間は、気づかれてはいないが、成功の期間であったことになる。

 さらに、政府の政策が誤診に基づく治療であったので、マイナスの副次的問題が生じている。それは、例えば大幅な財政赤字であり、巨額の貿易不均衡であり、不公平の拡大である。責任ある指導者は、過去および現在の経済状況を慎重にかつ念入りに把握しなければならない。将来とるべき政策についても考え直す必要がある。

 1980年まで、米国では一般に次のように考えられていた。米国経済は、過剰な税負担、過剰な規制、過剰な政府支出という拡大し続ける政府による負担で、停滞の時代に突入した。これに反対する経済学者は、ほとんどいなかった。米国にとり重要な産業は1960年以来、鉄鋼、自動車、繊維に至るまで、衰退したようであった。1960年代の後半から、失業率は全米のいたるところで上昇した。さらに、1965年以降の15年間は、物価と金利は上昇し続けた。レーガン大統領は、政府を諸悪の根源とみなし、それにより70年代の米国経済が疲弊していると述べた。レーガン大統領は、1965年から80年を長期の経済停滞局面とみなしたが、レーガンは、共和党、民主党をとわず、また保守派、進歩派をとわず、アメリカ人の声を代表していた。

 アメリカは、この経済の下降傾向をくいとめ経済を上向きにするため、1970年代後半から一連の新政策を実施した。新政策の中心は、サプライサイドに偏った減税政策であった。連邦政府は、1978年から1983年にかけて、キャピタルゲインと法人・個人所得に対する税を軽減した。この減税は、国防費の実質増と相まって、新規投資を促進し、雇用機会を創出し、基幹産業の競争力を高め、生産を増大し、勤労意欲を刺激することを目的としていた。

 一方において大幅な減税を実施し、国防費を維持するために歳出の削減が必要であり、他方において社会福祉経費の増大が勤労意欲を減退させ、失業率の上昇と生産額の減少をもたらしていた。このため、連邦政府は社会福祉関係費を削減した。社会福祉関係費の削減額は、全体の額に比べて多額であったが、大幅な減税額に比べれば、それは少額であった。

 米国経済は過去15年間、優れた実績を残していないというのが大方の見方であった。このように考えれば、経済の再活性化という目標は、確かに誰からも非難されるものではなかった。しかし、再活性化政策には若干の副次的効果があった。その1つは、巨額の財政赤字の創出であった。減税の結果、財政赤字は、たとえ国防費が実質で増大しなかったとしても、1980年以降2倍以上になったであろう。1980年から1984年にかけて、国防費が実質で一定に維持されたならば、1983年から1984年の財政赤字は、年額で1300億ドルになったであろう。これは、1980年の500億ドルの2.6倍に当たる。

 この財政赤字が、最近50年間で最高の金利水準をもたらしている。この金利水準が、次に強いドルをもたらし、それが米国の貿易収支の赤字を増大させている。この現象の米国社会に与えた影響についてみると、社会福祉支出が削減され、それは、米国の貧困層に最も大きな打撃を与えている。この結果、貧困層の数が増加し、貧富の所得格差が拡大した。

 政策目標は非の打ちどころがなく、経済は1982年以降回復を示した。しかし、このことにより米国および米国企業は、まさに負担を担うことになっている。繁栄をきわめている国、米国では、貧困が拡大し続けると基本的な問題である正義とは何かという議論が必ずおこる。しかし、連邦政府は、財政赤字が膨張しているため、さらに貧者に対する支出を削減しようとする。