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アメリカの経営管理者は、再び、そして今度は真剣に、従業員の業務能力、洞察力あるいは活力がつめこまれている膨大な企業競争力の貯蔵庫の扉を開けようと熱心に取り組んでいる。脱工業化時代には、古い対決型の従業員管理は捨てられる。それにかわって、生産活動の実施過程はもちろん計画段階にも、より直接的で、より広範囲に従業員を参画させようとする、さまざまな努力が行なわれている。
しかしながら、これらの努力の多くが、当初の明るい期待にもかかわらず、これまでにもこの種の施策を失敗させたのと同じ水面下に隠された障害にかかずらわって、もたつくことになる。この障害こそ問題の施策に対する第一線監督者の抵抗なのである。
本稿で明らかにするように、そうした抵抗はさまざまな形をとって現われ、またいろいろなレベルの欲求不満や不平となって表面化する。よく耳にする監督者の嘆きは、QWL(Quality of Working Life、労働生活の質向上)計画は会社と一般従業員にとってはよいことかもしれないが、われわれにとってはどうなんだ、というものだ。彼らはいう。施策のなかに、われわれの利益は本当に組み込まれているのか、と。著者は、これらの点についての有益な指針とそれに取り組む戦略施策を提供している。
1941年は、多くの工場監督者が、職場環境の悪化をきっかけにして組合づくりに結集した年であった。それがアメリカ監督者協会である。今日、職場環境は再び大きく揺れ動いている。そこから現場監督者の抵抗がまたもや頭をもたげ始めている。一般的にいうと、管理者が従業員参画制度を導入しようとするとき、彼らが抵抗を予想したのは主として一般従業員や組合であった。ところが、驚いたことに、実際に足を引っぱるのは他のグループだということがわかり始めたのだ。そのグループとは第一線監督者である。実際、ある管理者が次のように話している。「従業員参画制度を一般従業員が受け容れないのではないかと大いに心配して、彼らに制度のメリットを信じさせるために全力を注いだのです。監督者層については、彼らは管理層の一員なのだから、当然、この制度を受け容れるものと考えていました。結局、わかったことは、一般従業員に売り込むほうが監督者に売り込むより何倍もやさしい、ということでした」。
本稿では、従業員参画制度に対する第一線監督者の受けとめ方に関する研究を報告したい(調査研究の詳細は83ページを参照のこと)。もっとも注目すべき結果は、おそらく次の点であろう。すなわち、約3分の2(72%)の監督者が、これらの施策を会社のためになるとみており、また半分以上(60%)が従業員のためになるとみているのに対して、彼ら自身のためになるとみている者は3分の1(31%)以下だという事実である(表1参照)。
表1に集約された回答に対して監督者たちの意見を求めたところ、次のような返答が多かった。すなわち幹部は何が会社のためになるかをよく知っているはずだから、従業員参画制度は会社にとってよいことに違いない。また制度は一般従業員の参画を目的としているのだから、彼らにとってよいものであることは当然だ。しかし、われわれにとってはどうなのだ。何かわれわれのためになることでもあるのだろうか。
ある監督者は次のように話した。「わたしたちは、この5年間というもの従業員をもっと参画させなければいけないと、どやされ続けてきました。だから、今ではそれが会社と一般従業員にとってはよいことであると信じておいたほうがよいということ、いや、少なくとも信じておりますといっておいたほうがよいということを知っています。これまで、それがわたしたちのためになるなどと強調した人は1人もいませんでした。むしろ、それを信じなければ仕事がなくなるぞと強くいわれたのです」。
この受けとめ方の違いこそ問題の真因なのだ。もし、現場第一線で効果的な変革を根付かせようとするのならば、第一線監督者の支持は不可欠のものである。しかし、第一線監督者が従業員参画施策を自分たちにとって有害なものとみなしているならば、彼らは支持をさしひかえ、それが施策の先行きを決定づける結果となる。一般従業員が仕事上で影響を受ける事柄(安全、賃金、レイオフなど)に対してどの程度発言力を持つべきかを聞いたところ、従業員の参画に好意的な反応をした監督者は、できるだけ発言力を持たせないか、まったく持たせないほうがよいと答えた監督者に比べて、そうした参画は自分たち監督者にとってもプラスになると信じている者が圧倒的に多かったのである(75%対25%)。
したがって、会社はこれらの施策に対して監督者が何を考えているのかに注意を払い、なぜ彼らがしばしば、これらの施策を忌避するのかを理解しようと努めなければならない。




