サービスについては人間を中心にして考え、製造については技術の立場で考える。レビットによると、製造産業が常に前向きでありまた効率よく運営されているのに、サービス産業や顧客サービスのほうはこれに比べて、原始的な効率の悪さに終わっている理由がこの点にある。

 もし会社がサービスというものを、他人の意のままに行なうべきもので、また個人的奉仕だ、とする考え方をやめるならば、みずから実施するサービスの質と効率を飛躍的に向上させることも可能であると論じる。

 つぎに、会社がそのサービス活動を製造と同じ方式――「人力と思いつきの知恵に替えてテクノロジーとシステムを重視する」方法――で考えるにはどうすべきかを解説する。

 経済のなかのサービス・セクターは、規模こそ大きくなりつつあるが、質では低下している。こう発言するひとが多い。サービスを提供する側の立場からすると、自分たちや自分たちのかかえる課題は、他の業者やそれのかかえる課題とは根本的に異なっていると考える。サービスは人間集約的であるのに、それ以外の産業は資本集約的である、と考える。しかし、このような区別の仕方はたいへんな誤りである。もともとサービス産業などというものは存在しないのである。他の産業に比べて、サービスの部分が大きいかそれとも小さいかの区別があるだけなのである。どんな産業でも、みなサービスはやっている。

 サービス部分が小さいように見える産業ほど、実は大きなサービスをやっている場合が多い。製品が技術的に複雑化するほど(たとえば車やコンピュータ)その販売量は、製品につきまとう顧客サービス(たとえば展示場、納品方法、修理保全、応用面の助成、オペレーターの訓練、据え付けの助言、保証の実施)の質と手速さのいかんによって、強く左右される。この意味からすると、ゼネラル・モーターズはおそらく、製造中心企業というよりも、サービス中心企業というほかあるまい。もしサービスがなかったとしたら、その販売量は細ってしまうにちがいない。

 だから経済のなかのサービス・セクターは銀行、航空会社、保全業のような、いわゆるサービス産業だけから成り立っているのではない。製造業の提供する、至れり尽くせりの製品関連サービス、小売業の提供する販売関連サービスもこのなかに入るのである。ところが、時代おくれの産業分類法を用いるあまり、事実の見方をいたずらに混乱させ、苦しんでいるのである。例をあげてみよう。

 ・ファースト・ナショナル・シティ・バンク(Citibank)は、世界最大の銀行のひとつである。およそ3万7000人の従業員がいて、その大半は直接に大衆に接して物(ほとんどはカネと預金口座サービス)を販売するか、大衆がすでに購入した物に関して手助け(小切手を現金に替える、預金口座の種類をふやさせる、信用状を作成する、保管庫の鍵をあける、会社の流動資金の管理をする)をしている。

 ところが、残りの従業員の大部分は"工場"と呼ばれる場所の中で裏方として働いている――それはまさしく工場であって、人間と紙とコンピュータの膨大な塊が、第1グループの行なったすべての仕事を整理し、記録し、確認し、検査しているのである。連邦センサス局を含めて、会社を分類する人たちは例外なく、Citibankをサービス企業と分類する。

 ・IBMは世界で最大のコンピュータ製造企業である。約27万人の従業員のうち、その大半は直接に大衆に接して物(ほとんどマシーン)を販売するか、大衆がすでに購入した物に関して手助け(マシーンを据え付け修理する、コンピュータ・プログラムを作成する、顧客の訓練をひきうける)をしている。残りの従業員の大部分は、工場――電線と微小電子部品と技師と組立工から成る巨大集団――の中で働いている。連邦センサス局を含めて、会社を分類する人たちは例外なく、IBMを製造企業と分類する。