-
Xでシェア
-
Facebookでシェア
-
LINEでシェア
-
LinkedInでシェア
-
記事をクリップ
-
記事を印刷
米国企業は多くの新聞を通じて主張広告ないし意見広告キャンペーンを行ない、世論に十分な関心をはらっているということで評判をよくしている。しばしば記事下に掲載されるこれらの広告は、楽器の共鳴板のようなものだということが、よく知られるようになってきている。この共鳴板によって、企業は石油過剰利益税から"名作劇場"まであらゆることを論じ、自分たちの"人間的側面"を示すことができるのである。これらの広告は一部の人びとを憤激させ、他の人びとを楽しませるが、少なくとも主張することで、企業は私室にとじこもらず"米国民の前で自分たちの事情を処理すること"を恐れなくなったのである。
これらの企業のなかには、そのはなばなしいキャンペーン、大きな予算、企業間の友誼の増幅にもかかわらず、その成果を喜んでいないむきが少なからずある。彼らは、そのメッセージがいまだに浸透しておらず、彼らの善意が何であるかが理解されていないとこぼしており、結局のところキャンペーンは失敗に終わっているのである。
これらキャンペーンで企業が正しく主張していないということはない。むしろ、きちんとやっている。理解しがたい言葉で語っているわけでもない。その点も十分配慮している。ところが、著者にいわせれば、企業はそれらのキャンペーンで大きな前進を果たしていない。というのは、そこで用いられている用語や引き合いに出す事柄の組立てが根本的に反ビジネス的だからである。企業には固有の(強さではなくて)弱みがあって、そこから出発している。彼らが自分たちの事情を語る方法を変えない限り、言いたいことがありのままに伝わらない。
著者がここで説いているのは、企業がどの点で誤っているか、そのことについて何ができるか、である。
メディアを通じたビジネス活動に消費者が偏見をもつことを懸念して、米国企業では消費者に対する基本的主張を、メッセージの形で直接的に伝えることが多くなっている。企業のスポークスマンは、意見広告のためにメッセージをまとめたり、狙いを定めたりするために洗練されたテクニックを使っている。しかし、多数の広告がそうであるように、彼らはしばしば形態に多くの注意を払いすぎ、メッセージの内容にふりむける注意が散漫になるという弊におちいってしまっている。
一例としてアムウエイ・コーポレーションの広告をとりあげてみよう。この広告は、政府規制がわれわれに及ぼす影響について論じ、以下に図示したように連邦政府を乳母のようにおせっかいだと描いている。それは挑発的な題材である。意図はよくわかる。その視覚的表現にはやや難があるが、力強さはある。しかし、この広告は効果的だろうか。その効果は、このスペースに支払われた対価に見合っているだろうか。検討のために、中身をよく読んでみよう。

おせっかい乳母のような政府規制
私たちには乳母の家事に協力するような余裕はない
私たちはいつも独裁者(政府)のことを心配している。いまや悪いきざしが現実になりそうだ。それはおせっかい乳母のような政府規制のことである。
彼女はいたるところに顔を出す。――メリヤスのほつれから土地の利用まであらゆることを規制しようとしているのだ。彼女は小企業のごく小さな違反を摘発する。また、エネルギー事業の価格決定に指示を出す。彼女はまた、ファミリーカーを金のかかる"改良"で飾ることを決定する。
規制の強化があなたの生活コストを上昇させる。そのコストは1979年にはアメリカの一家庭あたりおよそ2000ドルに達するだろう。――なんと新車購入の頭金になる額ではないか! ワシントンで働く取締官を養うのにおよそ50億ドルが必要であることをご存知だろう。ビジネス側はその規制にこたえるため1000億ドルを費やさなくてはならない。ここに落し穴があるのだ。この大金は売るべき商品を何ひとつ生み出さないのだから。かかった費用はすべてあなたがたの買うあらゆる製品に加算されるのである。
一部の人々はこの種の政府の"保護"に安心を覚えている。もちろん政府規制の中には必要なものもある。しかし、現状は極端すぎる。今ではこの乳母が家庭全体を運営したいとのぞんでいる。厄介なことだ。私たちにはそれに応じる余裕がない。
最近数年の間に、政府規制の指示のために新車の値段に600ドル以上が上のせされた。これにそうするだけの価値があったのだろうか。
もし私たちがワシントンの金のかかる乳母に依存しなければ、誰もが実質的な節約をすることができるのである。
アムウエイ社
この広告は重要な政策論議に関して一般人の発言をうながすためのメッセージ・シリーズのひとつである。
「私たちはいつも独裁者(政府)のことを心配している。いまや、まことに悪いきざしがある。まるでおせっかいな乳母のようになってきたのだ」。この書き出しは的を射ているといえるかもしれない。ビジネスに関する政府規制は自由をめぐる争点の1つである。
アムウエイ社が用いた連邦政府のイメージはいいアイデアだ。それは過度の規制がもたらす危険を指摘している。しかし、規制者は(この広告に描かれたような)野暮な長靴などはいてはいない。上等のセンスのいい靴をはいている。そして、たいていのアメリカ人は、真夜中にドアをノックされる経験などもっていない。恐怖をアピールしたところで、彼らのプライドと独立心が効果的に笑いとばしてしまう。そこでアムウエイ社は、乳母について、もっと私的なイメージに主題をもってきている。
「過度の規制があなたの生活コストをひき上げている」。この一節が私たちの注意をプライドから財布にふりむけさせる。それは少々ぎくりとさせる内容だが、この広告は、問題の争点―すなわち一世帯当たり2000ドルという相当な金額について、それぞれ自分たちの言葉で考えるようにしむけることに成功している。私たちはその金をどう使うかは自分で決めたいと考えている。そして、私たちが評価するのは、自分の仕事についてとやかく言われたくないと自負している職業人である。この見解は、アムウエイ社とこの広告を見る人を同じ立場に立たせ、普通の市民の生活に侵入してきて当然であるかのような数々の規制に疑義を呈するのである。この一節の論旨は効果的である。



