「一見してわかることであり、また論理的に不可能なことであるが、減税によって促進される経済成長と、金融政策を厳しく適用することによる縮小とを同時に実現することは不可能である」というのが、本稿の主張するところである。サプライサイド学派的な「収差」に、リセッションのリスクのみによってインフレを克服しようとする金融政策が加わった方法が効果のないものであることは、現実において示されている、とガルブレイスはいう。

 しからば、効果のある方法は何か。彼は二面作戦を主張する。一方で緊縮予算を中心とする財政政策によって需要をコントロールし、消費支出を制限することで、これは投資支出を制限する方法に比べて生産性に対する損害が少なくてすむ。もう1つは所得・物価政策で、これは現在の物価水準のもとにおいて、経済の許す範囲内においてのみ賃金上昇を認めることである。

 著者は、企業経営者が世界がレセフェール的な方法で動いているという時代遅れの考えを捨てるべきであって、西側工業国の経済は"現代の大企業、強力な労働組合、巨大化した政府組織、その他のさまざまの組織の主張"などが、それぞれに操作レバーを持つという形で支配しているという現実を認識すべきである、と主張する。

●本稿は、著者との特別契約により日本ではDHBが独占掲載する権利を持っています。

 1年ぐらい前のことであったが、レーガン政権の初期のころ、私はヨーロッパで経済人を前に講演を行なう機会が2度ほどあった。1回はハンブルグ、他は、チューリッヒであった。どちらの聴衆も感情におぼれたり希望的観測に陥ることがあると思われるタイプの人たちではなかった。彼らはクールなビジネスマンだと言える人たちであったと考えてよい。しかし、私の主張している議論に対しては、彼らがかなりの抵抗感を持っていることが感じとられた。

 私は当時、ワシントンで提唱されていたサプライサイド経済学の有効性に対しての疑問を表明し、それが同時に遂行されようとしている厳しい金融引締政策と矛盾するものではないかと言った。聴衆はこれを受け入れることに非常に強いためらいを示した。彼らとしては、保守性を天下に表明した政府、そしてアメリカの経済界によって広範に支持されている政府が間違っているかもしれないということを信じたくはなかったのである。彼らは全体として、現実を認めることによって、彼らの希望を犠牲にすることを望まなかったのである。

 私がこのような思い出話をしたのは、何も私の知恵の優れていることを示すためではない。厳格で、妥協を許さない神が経済学者を待ち受けていて、過去に彼らが行なった予言に厳しい判定を下す。将来のことは時が裁きをつける。むしろ私が言いたいのは、われわれの時代においては、政治的な信念と希望を企業における判断に優先させることはできなくなってきていることであって、そのことを示すために、この話を持ち出したのである。経済的な成功や失敗はイデオロギーとはほとんど関係がなく、まして希望や願望とは何のかかわりもありえない。政策は右寄りの政府の下でも、左寄りの政府の下でも、あるいは進歩派の民主党の下でも、保守的な共和党の下でも、よくもなり、また悪くもなる。その要件は政治上の立場や政党の区分と無関係である。このことは現代において、企業人が学ぶべき最初の、そしてある意味で最も難しいことである。

 ここで私がしようとしていることは、今言った事実を工業国の経済が今日、直面している、より深い経済的環境の中において当てはめて考えてみることである。また、できれば新聞の見出し、つまりその時々の瞬間的なコメントについて考えてみて、現代の経済生活と経済政策に影響を及ぼす、より根本的な力が何かを探し出してみたい。

組織の世界

 今われわれの生きている時代は、急速で強力な社会的、経済的変革の時代であって、その変化の波は資本主義とか自由企業体制とかいわれている世界ばかりではなく、社会主義諸国にまで及んでいる。この変革を起こしている力は組織である。組織の増大は誰の目にも明らかである。というよりは、そのことを認めるにやぶさかでないなら誰の目にも明らかである。第1に、巨大で、あらゆるところに進出している政府の組織がある。これは多少大きすぎたり、あるいは小さすぎたり、革新とか保守とかその見る立場によって考え方が違ってくるが、とにかく政府が大きな存在として、そこにあることを現実的にものを見ることのできる人間ならば認めなければならない。

 組織は、極めて大きい企業のほうにも広がっている。アメリカにおいては約2000ぐらいの会社で、民間生産の約3分の2を占めている。同じような集中度は他の工業国においても見られる。すべての人が大企業を好きだというわけではないが(多国籍企業はとりわけ疑いの目で見られている)、それらはとにかく、この世に存在し続けるであろう。複雑な仕事や、国際貿易の場合のように、生産者が最終消費者にまで営業やサービスの面で製品をフォローしなければならないケースでは、これに代わりうるものは存在しない。