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本稿は、HBR 1958年4-5月号に掲載されて以来、強烈な反響を呼び、広く人びとの間で知られるようになった。今回、HBRクラシックの1つに選ばれたのは当然といえる。タンネンバウムとシュミットの両氏は、簡略な文章のなかで、管理者がいかに職場をリードすべきか、という問題に含まれている主要な考え方を明確にとらえることに成功した。
今回の掲載(HBRでの再録は1973年5-6月号)に際して、両氏は1つのコメントを寄せている。そのなかで著者は、原論文発表以来の15年間を回顧している(以下参照)。
◇「私はたいていの問題を部下グループの手にゆだね、あとは彼らのやりたいようにやらせます。私は単に、彼らが自分自身をよりよく理解するように、彼らの考えや感情を映す一種の触媒として働くだけです」
◇「部下たちに関係のあることがらを自分ひとりで決定するのは、ばかげたことです。私はそういったことがらについては、いつも部下とよく話しあいます。しかし、最終的な決定権は自分だけが持っているのだということは、はっきりと伝えておきますが」
◇「いったん行動方針を決めると、私は部下たちに自分のアイデアを納得させることに全力を尽くします」
◇「私は部下をリードするために雇われているのです。だから、私がやるべき決定を彼らにやらせるようなことになれば、私は給料泥棒ですよ」
◇「私は問題をかたづけることには、自信があります。したがって会議を召集して時間をむだにしたりはできません。だれかやり手が必要だというのなら、それは私しかいないと思いますよ」
ここにあげた言葉は、"優れたリーダーシップ"についての視点を表している。これらについては、多くの経験や実証的データ、あるいは理論に基づいて、それぞれ証明することは可能であろう。しかし、やはり、それらを並べてみれば、互いにくい違っていることは明らかである。まさにこのくい違いこそが、現代の管理者を悩ましているジレンマを浮き彫りにしているのである。
新しい問題
現代の管理者が、部下に対して、どうすれば"民主的"でありながら、同時に必要な権威や指導力を保ち得るかという問題に対して、近年、ますます焦点が当てられるようになってきた。
今世紀の初頭においては、この問題はこれほどはっきりとは感じられていなかった。一般的に、成功した管理者は、知性や想像力や独創力、迅速に(そして、たいていは賢明に)決定を下す能力、あるいは部下を意欲づける能力を備えているものと考えられていたからである。人びとはこの世の中は"指導者"と"従属者"の2つに分けられているのだと考えがちだったのだ。



