自社のデータ処理業務で事態が悪化しつつあるとき、それを最後に知るのが経営幹部である。経営幹部は、自分たちの知る唯一の方法――総予算の監視という方法――によってデータ処理部門を統制することが多い。

 その結果、深刻な問題が発生しつつあっても、それを知らないまま、とり残されてしまう。コンピュータ運用における主要な要素である受注処理や在庫管理などの業務が完全にいきづまってしまってから、突然、気がつくわけである。このような失敗は時代遅れとなった適用業務ソフトウェアから生じる、と著者はいう。そして、経営幹部が危険な徴候をいかにして読みとるべきかを示している。

「データ処理業務について、当社がどのような統制の仕方をしているかをお聞きになりたいのですね。いやあ、この点に関しては、私どもは本当にいろいろなことをやってきました。しかし、結局、唯一有効な方法は、費用の面で、ともかく厳しい態度をとるしかないということにいきついたわけです。当社では、この費用を厳しく統制しています」。これは、ある10億ドル規模の企業の財務・管理担当上級副社長の発言であるが、この言葉の中にこそ混乱の種が潜んでいる。

 費用統制によるデータ処理業務の統制は、予期しない結果をもたらす可能性がある。これは、すでに多くの企業が経験しているところである。これら企業では、データ処理に十分な資源を振り向けてこなかったことによる影響が顕在化し、その結果、新規のプログラム作成のために莫大な投資をする必要に迫られている。このような事態が生ずる理由は、企業の日々の業務――受注処理、在庫管理、給与支払台帳の作成(これらは通常、主要適用業務と呼ばれる)――の管理を何年間も支え、稼働し続けてきた一連の有機的関連をもつプログラム群が、もっぱら陳腐化してしまったことにある。

 つぎはぎを繰り返した服が結局はぼろぼろになってしまうのと同じように、コンピュータ・プログラムも補修を重ねているうちに使用に耐えないものとなり、新しいものに更新することが必要になる。補修のために手を入れた度合が多ければ多いほど、取扱いが難しくなる。ユーザーにとっては、情報入手が次第に困難になり、プログラマーにとっては、例えば経営者の新価格政策や政府の投資信用に関する最新の法制などに対応するために、プログラムを変更することが難しくなる。

 最初にプログラムが書かれてからおそらく10年もすれば、修正が積み重ねられた結果、プログラマーがそのプログラムの論理を跡付けようとしても、きわめて困難になる。そのために、プログラムの変更に要する時間は次第に長くなっていく。さらに修正を加えるごとに、その修正部分を稼働前にテストすることが難しくなっていく。

 主要な適用業務プログラムを更新するためには、数ヵ月あるいは数年を要しかねないし、そのための投資額は相当なものになると考えられる。このようなプログラム群は、通常、きわめて大規模なものであり、複数の業務部門と多数の人員にかかわりをもっているからであり、またハードウェア面はもちろん人の面においても、多くのコンピュータ資源を必要とするからである。

 なぜ事態がこのように手に負えない状況に陥ってしまうのか、疑問が生ずるのは当然である。たしかに、データ処理業務の管理は、資金に制約があろうとなかろうと、主要適用業務プログラムを稼働させ続けるべき責任を有している。そして実際、データ処理マネジャーは、これらプログラム群を稼働させ続けるために実に優れた仕事をこなしていることが多い。

 問題は、陳腐化しつつあるプログラム群に代替すべき新しいプログラムへの投資資金が、厳格な予算統制によって制約されてしまうことである。乏しい予算をやりくりするような状況下では、データ処理マネジャーとしては、長い間には結局、自社の競争力を減殺してしまうような方法をとるしか選択の余地がなくなる。このような場合、航空会社、保険会社、ある種の銀行などがとくに脆い。これらの企業においては、データ処理業務が企業活動の死命を制する位置にあるからである。

 データ処理マネジャーが、自社の経営方針の変化あるいは新しい法的要請への対応の必要に応じて、古いけれどもなお使用しうるプログラム群にあちらこちらに補修を加えることで、資金と時間を削減しようと試みるのは、最も通常の姿である。こうすることによって、わずかなスタッフでもプログラムを稼働させ続けることができるために、その分マネジャーは、即効的効果が期待される新しい分野、あるいはより広範なユーザー――しかも従来の主要適用業務にかかわりをもたないユーザー――向け自動化システムの開発といった社内でのデータ処理業務のイメージを向上させうるような新規分野に、乏しいシステム開発要員を振り向けることができるというわけである。