組織神経科学の理論

 今回は、「未来の世界標準の経営理論」として、組織神経科学(organizational neuroscience)を取り上げる。

 組織神経科学とは、人の脳・神経のメカニズムを扱う神経科学の知見を経営学に応用する新しい学術領域である。この研究分野は2010年代に始まり、大きな期待が寄せられてきた。世界最大の経営学会であるアカデミー・オブ・マネジメントでも、組織神経科学の分科会が設置されているほどだ。

 なぜ、組織神経科学に期待が寄せられているのだろうか。その理由を知るためにも、まずは図表1「経営学の研究対象のレイヤー」をご覧いただきたい。図表からわかるように、経営学の研究対象は、いくつかの層(レイヤー)に分かれる。まず、より広範な(マクロな)視点を取る層では、企業や、企業を取り巻く市場・産業が分析対象となる。「経営戦略論」や「グローバル経営」などは、その代表だ。

 一方、「組織行動論」ではよりミクロな、企業内の組織、チーム、上司と部下の関係などを取り扱う。何より、組織は人によって構成されているので、個人を対象とした研究も盛んに行われる。リーダーシップの特性に関する研究などが特にそれに当たる。

 ここで、企業組織について考えてみよう。実際の企業組織は、複数人、場合によっては100人、1000人、1万人を超える人々によって構成されている。これらの人々が、おのおのさまざまなことを考えながら意思決定を行い、結果として一つの企業組織が動いている。企業そのものが、一つの生き物のように意思を持って行動しているわけではない。これは部署レベルでも、チームレベルでも同じだ。

 だとすれば、重要になるのは企業、組織、チームなどの行動メカニズムを、それを構成する「個人の意思決定メカニズムから説明する」ことである。これを専門用語で「マイクロ・ファウンデーション」(micro foundation)という。わかりやすい例として、本連載第2回で取り上げたアッパー・エシュロン理論が挙げられる。これは経営者個人の心理特性に焦点を当てることで、それが企業全体の行動に与える影響を説明する理論だった。

 ここまで来れば、神経科学が期待されている理由も見えてくるのではないだろうか。個人レベルの意思決定が何によって規定されているかというと、それは「脳」である。つまり、人の脳はビジネスにおいてどのように活用されているのか、そのメカニズムへの理解が進めば、個人の意思決定をより精緻に説明できるようになるはずだ。さらにその知見は、チーム、組織、企業といった、より上位層の行動を理解する手掛かりにもなりうる。言わば、マイクロ・ファウンデーションを超えた、「ブレイン・ファウンデーション」(筆者の造語)を世界の経営学が求め始めているのだ。

 特に経営理論の視点で見た場合、神経科学は2つの大きな貢献が期待できると、筆者は理解している。第1に、「既存の経営理論を神経科学によって精緻に裏づけたり、その充実・修正を図ったりできる」点だ。

 たとえばリーダーシップ論には、トランスフォーメーショナル・リーダーシップ(TFL)という理論的な考えがある。その命題の一つは、「ビジョン啓蒙型のリーダーは、部下を前向きに牽引できる」というものだ。しかし既存理論では、「なぜフォロワーは、TFL型リーダーに引きつけられるのか」の説明を、十分にできなかった。