経営理論が抱える2つの課題

 今回が最終回である。前回は科学哲学を用いて、経営理論を整理するという試みを行った。この最終回では「整理」ではなく、哲学による「経営理論の大転換」を提示したい。今回はかなりの部分が筆者の私論になる。筆者は米国で10年間世界の経営学を体感し、そして現在は早稲田大学で経営学者として研究を続けながら、「世界標準の経営理論」を執筆したり、さまざまな企業の社外取締役あるいはアドバイザー・顧問として、経営者・役員・社員と日々対話を続けたりしている。その立場から見て、いま世界標準の経営理論には大きな転換が必要ではないか、と考えているのだ。

 なぜそう考えるのか。筆者は現在の世界標準の経営理論には2つの根本的な課題があると認識している。第1に、現在の経営理論はこのままでは、ビジネスパーソン(あるいは人類)がこれから直面する問題に、十分な思考の軸を提供できない可能性があることだ。このようなことを言うと、「それでは連載の主張を、根本から覆してしまうのではないか。そもそもあなた(入山)は、世界標準の経営理論とは人・組織の普遍のメカニズムを提示するものなので、だから未来も見通せると、連載第1回で主張したではないか」とおっしゃる方もいるかもしれない。たしかに、経営理論は、人と組織の行動や意思決定の本質を特定方向から鋭く切り取る刀のようなものだ。だからこそ、人や組織の過去と現在を説明するだけでなく、未来を切り開くための思考の軸にもなる。この点については、筆者は今後もぶれるつもりはない。

 しかし筆者が課題に感じているのはそうではなく、「この組織・社会そのものを根底から揺るがしかねない、世界的な変容がいま起きているのではないか」ということなのだ。まず、環境問題である。現在、気候変動や生物多様性の課題など、世界中で環境問題が進行している。その元凶の一つが経済・ビジネス活動にあることは言うまでもない。これほどさまざまな企業が物をつくりエネルギーを消費する中で、温室効果ガスが大量発生し地球の温暖化が進んでいる。いまや昆虫の種類は以前と比べて40%も減っている。

 この問題は、従来の経営理論では十分に扱うことができなかった。それは「人・組織の外にある問題」だからである。結果として、経済合理性・利益追求という中で「環境が大事なことはわかっているが、当社は利益も挙げなければいけない。環境問題と利益追求はどうしても矛盾しているように見えるので、環境問題には十分に向き合えない」というのが、企業の本音だろう。そして現在の経営理論は、多くが企業の業績(利益や企業価値)の追求が目的となっている。たとえばSCP理論やリソース・ベースト・ビュー(RBV)がそうだ。環境問題は、そもそも経営理論の範疇外なのである。

 社会問題も同様だ。世界中で格差が進行し、富める者はより富み、貧しい者はより貧しくなっている。誰もがこの問題の深刻さを感じながらも、ビジネスとして対応することは極めて難しい。そして、これは経営理論にとっても同じだ。そもそも経営理論は、所得格差や不平等を前提に構築されていない。

 資本市場との関係もそうだ。いま日本では海外のアクティビストが多数活動しており、日本企業がもともと行っていた経営スタイルに批判を加えている。アクティビストの言うことも一理あるのは確かだが、他方で日本企業はそれに対して明快な論陣を張れていない。経営理論もそれは同じで、たとえば現在のコーポレートガバナンスの支柱になっているエージェンシー理論は、アクティビストにとっては非常に都合がいい説明だ。他方、長期経営を行いたい日本企業の経営者には、それを支える理論がない。

 何より、AIの時代になってきている。本連載の第1回では、AI時代に人が何をすべきかを、経営理論を使って見通した。しかし、あくまでそれは人に焦点を当てたものだ。一方でいま、先鋭的な企業で現実に起きているのは、「そもそもAIを人と同様に見なし、IT部門ではなく人事部門で管理すべきではないか」という議論だ。なぜなら、AIの能力はもはやデスクワークをする人間と同等か、それ以上になってきているからだ。そうであれば「1人に年間700万円の人件費を払うのか、それともGPUを1つ買うのか」という意思決定は、むしろ人事部のイシューとなっていく可能性がある。そこで問われるのは、「AIは人と同列に扱うべきなのか、同じ経営資源なのか」という議論だが、RBVも資源依存理論もこれには答えられない。

 先ほど、世界標準の経営理論には2つ課題意識があると言った。その2つ目とは、「そもそもここまで解説してきたのは、本当に世界標準の経営理論なのか」ということである。連載第1弾も含めると、今回は通算62回目となる(そして最終回である)。ここまでさまざまな経営理論を紹介してきた筆者が指摘するのもなんだが、その多くは米国の経営学者(および経済学者、社会学者)、そして欧州の学者たちが提示してきたものだ。紹介した中で、日本発の経営理論は野中郁次郎教授の「知識創造理論」のみだ。すなわち、筆者は「世界標準」という高慢な言葉を使いながら、実際には人口ベースで世界の20%に満たない地域(=欧米)発の経営理論しか提示できていないのである。これを本当に「世界標準」と言ってよいのだろうか。

 最終回では、この2つの極めて大きな課題、(1)現在の経営理論は、環境問題、社会問題、資本市場をめぐる問題、AI問題などに十分に対応できない可能性がある、(2)世界標準と謳いながら、実際には欧米中心の理論である、を解消するための第一歩として、大胆な私論を展開したいのだ。これはある意味で、哲学者イマヌエル・カントが言うところの、経営理論の「コペルニクス的転回」とすらいえる。この転換が達成できた先には、経営理論はさらに一段も二段も高いレベルに昇華し、そしてこの2つの大きな問題を解消し、我々の未来を鋭く切り開く、さらに力強い思考の軸となっていけるのではないかというのが、筆者の仮説だ。

 最終回は、この筆者の思考実験にお付き合いいただこう。読んでけっして損はないはずだ。ではまず、なぜ現在の経営理論は先に挙げたような問題に十分に対応できないのかについて、筆者なりの見解を示そう。その理由は、経営理論、そして現代のビジネスが依拠する「哲学」にある。