-
Xでシェア
-
Facebookでシェア
-
LINEでシェア
-
LinkedInでシェア
-
記事をクリップ
-
記事を印刷
戦略の多義性はどこから来たのか
経営戦略は、理解するのも、論じるのも難しい。同じ「戦略」という言葉を用いながら、ある人は将来の事業計画を、ある人は競合をかわす一手を、別の人は組織の存在意義を念頭に置いた議論を行う。戦略論の大家ジェイ・バーニー(2002年)が「戦略について書かれた本の数だけ戦略の定義は存在する」と述べたのは、けっして誇張ではない。
ただし、「戦略」という言葉の多義性は混乱の産物などではなく、それどころか、経営戦略論という学問が半世紀かけて射程を広げてきた歩みの結晶である。一つの時代が一つの問いに答え、やがてその答えでは捉えきれない現象が現れると、次の時代が新たな問いを立てる。そのようにして、経営戦略は厚みを増してきた。
たとえば、累積生産量に伴うコスト低下と市場成長率を組み合わせたポートフォリオ分析は、高度成長という安定した条件の下で説明力を発揮した。その効力はいまも失われていないが、成長が鈍化し、産業の多様化が進む中で、そのフレームワークが想定していなかった問いが新たに加わった。あるいは、内部資源に競争優位の源泉を求めた理論は、なぜ同じ業界でも企業ごとに差が生じるかを的確に説明したが、そこから「資源はどこから生まれ、どのように更新されるのか」といった、さらに奥行きのある問いが生まれた。
このように、経営学という社会科学は、現象と理論の循環を通して進歩を遂げてきた。新しい現象が現れ、既存の理論では説明しきれない領域が生じると、それを説明するために新たな理論が立ち上がってくる。しかし、前の理論が置き換えられたわけではない。経済が成長し、企業の役割が変わるたびに、新しい産業、新しい手法、新しい技術が生まれ、説明すべき世界そのものが広がり、それまでの理論が扱ってこなかった対象が追加されてきたのである。
本稿の狙いは、経営戦略論という知の地層を掘り下げ、歴史的経緯をひも解く中で、その概念を一段深く理解することにある。それぞれの理論は、どのような前提条件の下で形成されたのか。そして、新たな理論はどのようにして、既存の理論を否定することなく、重なるように立ち上がってきたのか。
経営戦略の歴史を掘り下げる切り口は無数に存在するが、本稿ではあえて一つに絞る。すなわち、学術研究としての経営戦略がいかなる発展を遂げ、そこからどのような視座(パースペクティブ)が生まれたか、である。
筆者らはこの切り口に基づき、10の視座を厳選した。本稿で紹介する10の視座はいずれも、当時の研究者らが対峙した理論的課題と、各課題が生じた時代の状況を背負うように誕生した。ところが現実には、時代を象徴するフレームワークだけが抜き出され、なぜその時代に生まれ、流行したのかという文脈は置き去りにされている。そこで本稿では、それぞれの視座が各時代に流行した理由について、時代背景と学術的背景の双方から解き明かす。その根底にある問題意識にまでしっかりと遡ることで、フレームワークが何を説明でき、何を説明できないのかが、おのずと見えてくるはずである。
経営戦略50年の歴史の中で、それぞれの視座がそれぞれの時代の問いに的確に答えているので、その答えは古びない。社会経済の変化と進化に合わせて、説明可能な領域の先端を着実に前に延ばすと同時に、説明可能な範囲のすそ野も確実に広げてきた半世紀である。
探究の対象は外部から内部、そして、その先へ
経営戦略の50年間の連鎖を最大の縮尺で眺めると、そこには大きな流れが見えてくる。
経営戦略の議論は「競争優位はどこから生まれるのか」という問いから始まったわけではない。そこにはまず、経営を分析できるものへと変換する営みがあった。1960~70年代にかけて、経営を外と内の両面から捉える型をつくり(視座(1))、予算に先立ち全社の進む方向と企業の範囲を定め(視座(2))、複数事業への投資の優先順位を見極める(視座(3))。このようにして、戦略を組み立てるための基本的な枠組みが出揃った。



