情報開示ありきで始まった人的資本経営の現在地
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サマリー:上場企業の有価証券報告書で人的資本開示が義務化されて3年以上が経過したが、単なる開示に留まり形式化・形骸化に試行錯誤する企業は少なくない。投資促進や中長期的な企業価値向上に向け、経営戦略と人事戦略を連関させた人的資本経営をどう始めるべきか。大妻女子大学の鶴光太郎教授に、人的資本経営の現在地と課題、そしてフレームワークをもとに人的資本経営を着実に前進させるための方策について話を聞いた。

2023年3月31日以降に終了する事業年度にかかる有価証券報告書において、主に上場企業を対象に人的資本の情報開示が義務化された。あれから3年以上が経過したが、多くの企業の人事担当者は現在も、どのように開示義務に対応し、数値や取り組みを公表すべきか、試行錯誤を続けている。本来は、企業内の人的資本に関する情報を社内外に公表し、投資家による投資の促進や中長期的な企業価値向上につなげる「人的資本経営」が目的だったが、単なる情報開示に留まり、形式化・形骸化している企業も少なくない。

この状況を脱し、経営戦略と人事戦略を連関させ、企業価値向上へとつなげる人的資本経営を行うには、あらためて何から始めればよいのか。企業の働き方改革やリスキリング施策について調査・研究を行っている大妻女子大学の鶴光太郎教授に、人的資本経営の現在地と課題、そしてフレームワークをもとに人的資本経営を前進させる着実な方策について話を聞いた。(聞き手/『DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー』副編集長 林恭子)

情報開示を起点にした人的資本経営は
「試験のために勉強する」ようなもの

編集部(以下色文字):2023年3月期に有価証券報告書を発行する大手企業約4000社を対象に人的資本に関する情報開示の記載が義務化されてから、3年以上が経ちました。しかし、人的資本に関する情報開示は、投資家からの投資促進や企業の価値向上が目的だったにもかかわらず、実際には形骸化してしまっているのはなぜでしょうか。

大妻女子大学 鶴光太郎教授

鶴(以下略):まず、今日までの人的資本経営ブームを考えるうえで前提となるのが、経済産業省が2020年に公表した「人材版伊藤レポート」(人的資本経営の実現に向けた検討会報告書)と2022年に公表された「人材版伊藤レポート2.0」です。これらは、人的資本開示を人的資本経営の中心に据えようとしていたため、多くの方が「人的資本経営=人的資本の情報開示」と捉えているように思います。

 この「情報開示」を起点においたことは、残念ながら本末転倒の取り組みと言わざるをえません。例えるなら、「試験のために勉強する」ようなものだからです。

 その後2023年に施行された内閣府令による開示義務では、女性管理職比率、男性育休取得率、男女間賃金格差といった指標の開示のみが義務化されるのに留まり、それ以外については自由記述とされています。本来は、個々の企業がそれぞれの環境や目的と戦略に応じて行っている人的資本に関する具体的な取り組みがあり、その結果が情報開示すべき内容となるべきです。ただし、何も具体的な取り組みを行っていない状態にある企業にとっては、当然、何を書いてよいのかわかりません。

 実際に、人的資本に関する取り組みを行ったうえでピープルアナリティクスなどを用いて、事業部門ごとに比較し、ウェルビーイング、エンゲージメント、パフォーマンスへの影響を明らかにできている企業はあります。しかし、それはごく一部です。

 人的資本経営の最終目標は、企業価値の向上です。人的資本に関する体系的で包括的な取り組みができて初めて、情報開示の議論ができなければなりません。人的資本情報開示は人的資本経営の「スタート」ではなく、「総仕上げ」であるべきなのです。

 経営者は、人的資本経営に対する信念を明確にし、開示に反映する必要があります。ですから、経営者は、経営戦略として何を考えており、それを実現するための人事戦略を考えるべきです。これまでは、人事のことは人事部長や人事部に任せていた経営トップも少なくありませんが、これからはトップが方向性を示さなければなりません。

 人的資本経営が企業価値向上へとつながっていないという問題は、2010年代に行われたコーポレートガバナンス改革とも、根本ではつながっている問題です。コーポレートガバナンス改革により、たしかに社外取締役は増え、その設置割合はプライム市場では9割以上に達しています。また、いわゆる株式持ち合いの解消も進み、配当も増えています。しかし、10年ほどが経ったいま、コーポレートガバナンス改革が明確に企業のパフォーマンスを高めたり、企業価値向上につながったというエビデンスはあまりありません。社外取締役の増加、指名委員会や報酬委員会の設置など、形式的な改革に終始しています。

 つまり、必ずしも効果につながる改革になってはいなかったということです。最近になって、コーポレートガバナンスの実質化が政府のキーワードになっていますが、これはいままで期待した効果が出ていないことをみずから認めているようなものです。それが人的資本経営にも同様に当てはまるといっていいでしょう。