東京通信工業が設立された1946年から50年末までの約5年間を、盛田昭夫は「創設期=註文生産時代」と位置づけている。
ラジオをつくれば食べていけるにもかかわらず、井深大はあえてそれを禁じ手とした。それは資金繰り、そして会社を何で成り立たせていくかに悩みながらも、官公需からコンシューマー市場へと軸足を変えるための第一歩だった。
東京通信工業が設立された1946年から50年末までの約5年間を、盛田昭夫は「創設期=註文生産時代」と位置づけている。
ラジオをつくれば食べていけるにもかかわらず、井深大はあえてそれを禁じ手とした。それは資金繰り、そして会社を何で成り立たせていくかに悩みながらも、官公需からコンシューマー市場へと軸足を変えるための第一歩だった。