
K.I.T.虎ノ門大学院とDIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー誌(以下DHBR)は、2014年10月3日、東京・港区の同大学院にて経営理論セミナー「ビジネスモデル進化論」を開催した。第1部では同大学院 三谷宏治教授が、9月に上梓した『ビジネスモデル全史』からテーマを選び、ビジネスモデルの本質について講演を行った。第2部では、DHBR岩佐文夫編集長が三谷教授への公開インタビューを実施。多くの参加者が集まった同セミナーの様子をリポートする。
経営用語としての
ビジネスモデルの盛衰
三谷教授はまず、ビジネス用語としての「ビジネスモデル」の歴史について説明した。その歴史は3期に分けられる。1期は1990年頃までの、「言葉自体はあったがほとんど使われていなかった」時期。2期は91年から2000年までで、次々と登場するネットビジネスの仕組みを説明するために頻繁に使われるようになった時期。
そして3期は、2001年から現在まで。「競争優位の持続性」や「イノベーションの起こし方」といった、経営戦論が抱える問題への解答として、この経営用語は広く使われるようになった。
たとえば、イノベーションを起こすためのビジネスモデルの役割は「乗り物(vehicle)」と「素(source)」の二つがある。
「乗り物」の例としては、アドビシステムズのPDF事業がある。レーザープリンタであらゆる書体をきれいに印刷できるポストスクリプトという技術を生み出したアドビだが、技術そのままでは大した商売にはならない。PDFを生み出し、そしてそれを収益化するための仕組みをつくり上げた。
読むリーダーをネット上で無償で配布することで広く普及させ、一方でPDFを作るライターを有償で販売して収益を得た。
「技術革新をダブルプラットフォーム型のビジネスモデルという『乗り物』に乗せることで、アドビは初めて大きな利益を稼ぎ出すことに成功したのです」と三谷教授は説明する。
もう一つの「素」とは、「ビジネスモデル自体を大きく変えることがイノベーションとなる」という考え方だ。近年ではSPA(Specialty store retailer of Private label Apparel)を生み出したGAPなどがあるが、過去にさかのぼれば、絶えず新たなビジネスモデルは創造されてきた。三谷教授が日本における史上最大級のビジネスモデルイノベーションとして紹介したのは、江戸時代の三井・越後屋だ。