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戦前から高レベルにあった日本製品
まず初めにいくぶん国粋的な誤解をはっきりと正しておきたい。
日本が製品品質に関して世界のリーダーの地位にあるのは、W. エドワーズ・デミングとジョゼフ M. ジュランという2人のアメリカ人が40年前に行った講義の成果である、と考えているジャーナリストや実業家がいる。つまり、そういった人々は、デミング博士と私が講習会を開かなかったら、日本製品の品質はまだ石器時代のレベルにとどまっていただろう、と主張しているのだ。
私の見るところそのような主張には一片の真実も含まれていない。たとえデミング博士と私の活動が国内に限られていたとしても、やはり日本人は世界で最高の品質を達成したはずだ。確かに私たちは品質運動の端緒を開いてやった。その弾みがなかったら、日本人はもっと苦労したろうし、目標を達成するのにさらに長い時日を要しただろう。しかしなおかつ日本は、品質革命ではアメリカを凌駕したにちがいない。
ここで第2次世界大戦後の日本の実状について私見を述べ、ついで当時知られていなかったが現在理解されている品質概念と、アメリカが40年経った今やっと品質革命の緒に就いた理由について触れたいと思う。
第2次世界大戦後に日本の企業が、品質管理の専門家から知識を得ようという意欲を持っていたと聞くと意外に思う人が多い。しかし、確かに日本の輸出品は粗悪だったが、じつは日本人は製造品質の意味をよく理解していた。ただ戦前の日本では、何の品質を重視するか、その優先順位が欧米とは異なっていたのだ。
第2次世界大戦勃発時の日本には、3段階の品質水準があった。最低位の輸出消費財は劣悪だった。それが大部分の欧米人が入手できる唯一の日本製品だったので、日本は粗悪品を生産する国だという評判を形成する要因になった。世界中でメイド・イン・ジャパンという言葉は、粗悪品の代名詞になってしまった。
日本は輸出消費財の品質改善に努力するかわりに、長年にわたってそのほとんどの資本と最良の管理者、技術者、材料を自国の帝国主義的野望の達成のために活用してきたので、そのような結果を招いたのだ。当然、日本の中位の品質水準にある兵器類は、欧米の列強に比肩できる程度に優秀だった。事実、日本の魚雷の性能は米軍のものに勝っていたし、零式艦上戦闘機は第2次世界大戦初期に多くの米軍機を撃墜している。
品質階層の最上位にあるのは、日本の伝統技術を反映する精巧な手工芸品である。16世紀の大航海時代にオランダやポルトガルの探険家たちが日本にたどりついたとき、刀剣や紙製品、漆器、銅器、木版画などの工芸品がヨーロッパのものよりはるかに巧緻なできばえであることに気づいている。
つまり、戦前にすでに日本は、ある分野では外国製品に対抗できる、あるいはより優れた品質水準に達していたのだ。しかし日本人は、その高品質を大量生産の消費財にまで広げようとはしなかった。その結果、製品品質、というより低品質が世界市場に製品を売り込もうとする戦後の日本企業にとって最大の障害になった。だが、敗戦のショックによって日本人は、変革が必要だと悟り、すすんで欧米の品質管理の専門家の話に耳を傾けるようになった。品質に関する外国文献も調べるようになった。日本人が私を知ったのは、じつはまず著作を通してだった。1951年に私は『品質管理ハンドブック』の第1版を刊行した。間もなくその訳本が日本で出版された。それを読んだ日本人は、この著者からもっと多くのことを学ぶべきだと判断した。
経営者自ら品質革命に取り組んだ
1954年私は、経団連と日科技連の講演依頼に応じて訪日した。私は日本人に何も秘密を話したわけではない。日本でも、長い間アメリカの聴衆に話してきた話をしただけだ。話の内容は同じだったが、違っていたのはそれを聴いた人たちだった。



