1960年代を迎え、特約店支援の「オムロン発展会」「立石販売学校」の立ち上げ、分権と自律をより促す「専務制プロデューサー・システム」の導入など、一真は経営のさらなる強化を図る。そして、65年8月の大阪第一部市場に続いて、翌66年には東京第一部、名古屋第一部市場への上場を果たす。さらに、新たな市場を求めて東京に進出し、警察庁科学警察研究所とのつき合いから「交通管制」という有望分野へと参入し、見事成功を収める。
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1960年代を迎え、特約店支援の「オムロン発展会」「立石販売学校」の立ち上げ、分権と自律をより促す「専務制プロデューサー・システム」の導入など、一真は経営のさらなる強化を図る。そして、65年8月の大阪第一部市場に続いて、翌66年には東京第一部、名古屋第一部市場への上場を果たす。さらに、新たな市場を求めて東京に進出し、警察庁科学警察研究所とのつき合いから「交通管制」という有望分野へと参入し、見事成功を収める。
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