アメリカ製造業の再生

 いまから50年以上も昔の時代、ゼネラル・エレクトリック(GE)はケンタッキー州ルイビルのアプライアンスパークに、120万ドルを投じてアメリカ初の商用コンピュータ〈ユニバック〉を導入した。小さめのガレージ大のこの機種は、重量が3万ポンド(約14トン)近くもあり、計算結果を出すのは一日がかりだった。それでも〈ユニバック〉の登場は、画期的だった。

 事実、このITプロジェクトの担当マネジャーだったロディ F. オズボーンは1954年に、HBR誌への寄稿のなかで、GEがこれを活用して事業データの処理を行えば、産業界の新時代を開くだろうと予想した。

「〈ユニバック〉の商用第1号を購入して事業に活かすという経営プランは、いずれ歴史家によって第2次産業革命の端緒として記録されるかもしれない。ちょうど、1801年のジャカードによる自動織機の発明や、その100年後にフレデリック・テイラーが行った科学的管理法の研究が、産業史の転換点となったように」[注]