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人生を狂わされても必ず再起できる
人生を一変させるような一大事を乗り越えた人々は、常人にはピンと来ない感傷を口にする。実のところ、そのような経験なくして、そのような感傷を抱くことはなかったであろう。
それが、キャリアの危機であれ、心を切り裂くような別離であれ、また震えるような診断結果であれ、何らかの逆境を克服したことで、単に変わっただけでなく、一皮むけて満ち足りた気持ちになった人たちがいる。
彼ら彼女らは、これまでとは違う心の平静、かつて抱くことのなかった楽観主義さえ見出したように見える。このような変貌は、劣悪な条件の下でも最善を尽くしたからという一言で片づけられがちである。私もつい最近までは、そう思っていた。
2001年5月26日、私は突然、脊髄を圧迫する椎間板断裂に見舞われ、永久に下半身不随となった。長時間にわたる手術を2回受け、ボストン・リハビリテーション病院で2カ月を過ごし、さらに4年間にわたって理学療法を続けた。
それは、だれも予想できない類の経験だった。私はずっと健康で、経営コンサルタントとして安定したキャリアを築いていた。ところが、一瞬にして私の人生は一変し、不確実なものとなった。初めのうちは、恐れと痛みに打ちひしがれるだけだったが、やがて足の自由を失ったことへの怒りと悲しみがこみ上げてきた。
こうした感情の根っこにあるのは、私の人生だけが狂ってしまうわけではないからである。私には妻と2人の子どもがいるが、彼ら彼女らの人生も変わってしまい、その夢を何かしら諦めなければならない。
下半身不随になるということが、いままで私の身に起こったなかで最悪の出来事であることは疑いようがない。時には、失意に沈むこともあった。そして、日々苦闘の連続である。
しかしその一方、このような経験があったからこそ、これまでの自分について棚卸しをし、自分の人生でないがしろにしてきた部分を再発見し、枝葉末節なものを捨て去り、本当に大切なことに集中できたともいえる。