大阪市都島区東野田に引っ越した一真は、ようやく事業を軌道に乗せ、やがて「大阪に継電器の立石電機あり」といわれるようになる。そんなある時、東京帝国大学航空研究所の依頼を受けて、日本初のマイクロ・スイッチの開発に着手し、たび重なる失敗と試行錯誤の末に完成させる。しかし戦後の不景気が、一真と立石電機を襲った。