歴史を通じて、人間の圧倒的多数は生きるために働いてきた。多くの人々は、労働に慰めや価値、意味を見出してきたが、それでも、避けられるものなら避けたい苦役と考える人々もいた。

 何世紀もの間、欧州からアジアまで、社会的エリートたちは、稼ぐために働く暮らしから脱したいと願ってきた。アリストテレスは、生命維持のための必需品を気遣う必要のない個人、ほぼ完全に自立した個人を「自由人」と呼び、人間の最高の状態と見なした(言い換えれば、どんなに裕福な商人でも、その心が商売のことで占められていたら自由人とはいえない)。

 今日、AI(人工知能)と自動化(オートメーション)の発達が、仕事が果たす役割に、新たな問いを投げかけている。私たちは今後も、物をつくったり金勘定をしたりして生きていくだろうが、テクノロジーの進歩によって、サービスや財がますます低コストで提供されるようになれば、自分の仕事に新たな役割を見出さなくてはならなくなる──その役割は、必ずしも今日の労働観と地続きではないかもしれない。