謝罪の時代

 通常、他人に迷惑をかけたり、害を与えたりした時、故意でなくとも謝罪するものだ。被害者は、相手が過失を認め、謝罪するのが当然だと思っている。加害者も、「申し訳ありません」という言葉と賠償によって事態を収拾したいと考えている。

 ところが、トップ・マネジメントが公に謝罪するとなると、少々事情が異なる。まず、己の言動について謝罪する場合のみならず、同僚や社員の不手際について謝罪しなければならない場合がある。また謝罪する相手も、数百人から数千人、場合によっては数百万人に上ることすらある。

 謝罪は、加害者を正確に特定し、被害の大きさを見極めるところから始まる。その結果、トップ・マネジメントが謝罪することになるかもしれないが、このように御大みずからお出ましする場合、たいてい被害は深刻で、しかも広範囲にわたり、その解決に長期間を要する。不正行為が原因の場合、とりわけこの傾向が強い。

 トップ・マネジメントの謝罪は、組織を代表する言葉である一方、社内へのメッセージでもあるため、その意味合いは複雑である。個人としての謝罪でもあれば、組織を代表する謝罪でもある。また、単なる謝罪にとどまらず、戦略でもあり、一種のプレゼンテーションでもある。しかも一語一句注目され、公の記録に残る。

 したがってトップ・マネジメントの公式謝罪は、本人にとっても社員にとっても、そして組織にとっても大きな賭けといえる。謝罪を拒否するほうが得策の場合もあれば、自殺行為となる場合もある。すぐさま謝罪した場合、安心を与えることもあれば、逆に不安を募らせることもある。

 心から反省していることが伝わり、憎しみを消せれば、その謝罪は成功といえる。しかし、不十分だったり、タイミングを逸していたり、ポーズや戦略であることが見え見えだったりしようものなら、トップ・マネジメントも組織も一巻の終わりである。

 では、どうすればよいのだろうか。何を基準にトップ・マネジメントの公式謝罪を決断すればよいのか。また、そのタイミングは──。