本業以外の仕事を戦略的に引き受ける
アミット・パレイは、社会に出てから最初の7年間を『ワシントン・ポスト』紙の記者としてキャリアを積んだ。勤務時間は長く、特派員として中東の紛争地を取材した期間もあったが、彼は時間を割いて、母校の大学新聞の役員も務めた。それによりジャーナリスト志望の学生たちを支え、非営利団体の仕組みを学ぶことができた。
『ワシントン・ポスト』紙を辞めてビジネススクールに通った後は、コンサルタントとしてマッキンゼー・アンド・カンパニーに入社した。これも厳しい仕事であった。しかしここでもボランティア活動を重視し、LGBTQの若者の自殺防止に取り組むトレバー・プロジェクトで夜間と週末の電話番をした。
その後、同プロジェクトの役員となり(利害関係情報開示:筆者の一人も役員である)、こうしたグループの運営や財務の課題を経験したことが刺激となって、マッキンゼーでの非営利業務への関わりを深めるようになった。