20年間で様変わりした
経営幹部像とそのキャリア

 1950年代から70年代にかけて、アメリカ企業の経営幹部は均一的だった。最初に就職した会社に忠誠を誓い、定年を迎えるまで出世の階段をコツコツと登っていく。そのほとんどが男性であり、このような模範的な組織人を目指した。

 当時、「キャリアは社内で形成される」という考え方が主流だった。『フォーチュン』誌の編集長、ウィリアム H. ホワイトは、56年に著した『組織のなかの人間[注1]』のなかで「組織人」という言葉を使った。その後、この言葉は一躍人口に膾炙するようになった。

 またホワイトは、次のような疑問を投げかけた。「経営幹部が会社を辞めるのは、どのような理由からか」。当時としては、これはユニークな問いかけだった。

 彼は、コンサルティング会社のブーズ・アレン・アンド・ハミルトンの調査結果を引用し、経営幹部が初めて勤めた会社を辞める唯一の契機は、会社が昇進に関する暗黙の了解に応えられなくなった時だと述べている。

 その後、60年代から70年代にかけて、ハーバード・ビジネススクール教授のロザベス・モス・カンターは、インズコという架空の企業を下敷きに、派閥人事を分析した『企業のなかの男と女[注2]』を著した。同書をはじめ、一連の研究を通じてキャリアをめぐる複雑な実態が浮き彫りにされた。

 また70年代を通じて、状況の変化を物語るヒントも見出された。ところが、過去10年以上の間、経営幹部のキャリアが大きく変化したかどうかを厳密に検証した例はほとんどない。

How Has the Fortune 100 Changed?
この20年間で「フォーチュン100」はどう変化したか

 我々の研究は、経営幹部のキャリアを再び顕微鏡で調べようとする試みである。「フォーチュン100」の経営幹部を80年と2001年で比較し、これまで逸話のように語られてきた変遷をデータ化した(囲み「本調査について」を参照)。

本調査について

 社員の能力開発とキャリア・プログラムを管理・運営するだけの規模を社内に備えているという理由から、我々は「フォーチュン100」に注目した。これらの大企業では伝統的なキャリア・モデルを維持している可能性が最も高く、中小企業の場合、調査結果のバラツキが大きくなりかねない。

 決定的な転期となった1981年の不況の直前に当たる時期という理由から、80年を基準に選んだ。また、80年代初頭に経営幹部のキャリアに大きな転期が訪れたという社会認識を検証する目的もあった。そして、本プロジェクトを開始した2003年時点において、信頼できる最新データをもれなく入手できるという理由から、比較対象に2001年を選択した。

 戦略上の意思決定を実際に司る経営幹部を1社当たり上位10人選び、それぞれにインタビューを実施した。10番目の経営幹部と同じ地位の人物が複数いる場合、同じ役職名の人たち全員を調査対象とした。

【注】
調査方法と結果の詳細については
www.nber.org/papers/w10507を参照されたい。

 80年の経営幹部はそれ以前の人たちと大差ないが、80年以降、彼らのキャリアのみならず、経営陣の構成そのものに劇的な変化が生じる。そして今日、フォーチュン100の経営陣は大きく様変わりしている。

 多くが若く、女性の割合が増える一方、エリート校出身者の割合は減少している。経営幹部に昇進するまでの期間が短くなり、経験した職務の数も少ない。また、キャリア開発の一環として、会社を転々と変える傾向が認められる。